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論文

 日本には約七○○種類の鳥類が棲息していると推定されているが、その一割に相当する約七○種について絶滅が危惧されている。有名なところでは、オオタカ、オオワシ、シマフクロウ、ヤイロチョウ、セイタカシギなどがいる。とりわけ絶滅が危惧されている種類は「1A」という名前で分類され、現在、二○種弱が登録されているが、その一種がエトピリカという名前の水鳥である。

 羽根は真黒、両目の周囲は真白、体長四○センチメートルほどの水鳥であるが、エトピリカがアイヌの言葉で美麗なクチバシを意味することからも理解できるように、分厚い朱色のクチバシと水掻きのある朱色のアシを特徴としている。アリューシャン列島など太平洋北部域には多数棲息しているが、日本では道東でしか見掛けることのない貴重な水鳥であり、九九年夏に発行された「ふるさと切手・北海道版」の図柄にもなっている。

 潜水を得意とし、普段は外洋の洋上で生活しているが、繁殖時期になると沿岸の崖上などに営巣して生活する習性をもつ。かつては知床半島から根室半島にかけての道東の沿岸に多数が棲息していたが、現在ではほとんど見掛けることがなくなっている。筆者は知床半島を毎年何回かカヌーで周回しているが、これまで一度だけ半島の先端部分の海上で見掛けた程度である。

 このエトピリカの繁殖場所として北海道指定天然記念物に指定され、厳重に保護されているのがユルリとモユルリの二島である。根室半島の太平洋側の付根にある昆布盛の海岸から約三キロメートルの沖合にあり、前者が面積一六八ヘクタール、周囲約七・五キロメートル、標高四○メートル、後者が面積三一ヘクタール、周囲約三キロメートル、標高四○メートルの小島である。両島とも上部は平滑な台状の形状をしている。

 現在では無人で、保護地域として許可なく立入は禁止されているが、大正時代には外来のギンキツネの飼育場所として利用されていた。ところが冬期には、この海域の名物である流氷が接岸して本土と二島を隔離している海面が消滅することがあり、その時期にギンギツネが逃亡し、この飼育事業は中止になってしまった。現在も島内の一部にギンギツネを飼育していた施設の遺跡が残存している。

 この一帯は昆布盛という名前からも想像できるように昆布が特産であるが、昆布は収穫した直後に日干をしなければならず、そのために浜辺に広大な土地が必要である。ところが海岸は断崖が連続していて平地がなく、そこで両島の頂部の台地が昆布の干場に利用されるようになった。昭和初期からのことであるが、本土の開発によって場所が確保されるようになり、次第に人々が減少し、一九七一年に最後の一軒が離島し、無人となった。

 ところが、人々が離島する時期に、浜辺から数十メートル上方の台地まで昆布を引揚げるための労力として使用されていたウマがそのまま放置され、現在も野生の状態で放牧されている。これらのウマは交配も出産も自然のままであるが、毎年晩秋になると二歳の牡馬は捕獲されて肉用として売買され、また近親交配を回避するために、五年ごとに種馬も導入されている。

 二年程前、根室市教育委員会の許可を取得し、ユルリ島に上陸することができた。両島を眼前にする海岸からカヌーで出発して三○分弱で西側の岩場に到着し、岩礁の周囲に群生するオオセグロカモメ、ケイマフリ、ウミネコ、ウミウなどを観察しながら半周し、カショの浜といわれる浜辺に上陸した。そこから急坂を登坂して上部の台地に到達すると、中央部分は高層湿原になっており、様々な草花を観察することができた。

 日本の経済が急速な発展を目指していた時代には、このような辺鄙な場所にまで人々が押寄せ、手近な離島も生産の目的で様々に利用されてきた。しかし、日本の人口も頭打ちになり、経済もかつてのような二桁成長は幻影となり、国民の意識も生産から生活へ、会社から家庭へ、労働から余暇へと転換しつつある。この日本の最果てにある二島は、その時代の変遷を具現している自然ということができる。

 かつては多数の人々が昆布の採集に従事していた離島が産業の変遷によって無人の環境となり、絶滅が危惧される水鳥の繁殖のために厳重に保護されているという風景は、日本の転換を象徴するものである。このような場所をカヌーで航行することはだれにでも簡単にできることではないが、数十年前の風景を想像しながら断崖の足元を航行していく経験は、閉塞状況にある日本の将来を思索するためには得難いものである。





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