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論文

 陸奥、陸中、陸前を三陸という。この三陸の太平洋側に延々と連続するのが三陸海岸であり、青森の南部から岩手全体を経由して宮城の北部まで200km以上の延長をもつ世界でも有数のリアス海岸である。地理学的にはほぼ中間にある宮古を境界にして、北部は隆起海岸で200mはあろうかという絶壁が連続し、南部は沈降海岸で数多くの半島と入江が交互に出現するという対照をなしている。

 この絶好の自然条件を利用して、三陸海岸には久慈、宮古、釜石、女川など多数の良港が存在し、それらを拠点とする沿岸漁業が古来活発である。しかも沖合は北方からの親潮と南方からの黒潮が衝突する結果、世界四大漁場のひとつとなっており、都道府県単位の水揚げで、宮城はマグロで首位、カツオで四位、サンマで三位、岩手はサケで二位、タラで三位、イカで七位、総漁獲量でも、それぞれ二位と七位という漁業王国である。

 東北地方は、古代においては陸羽街道、近代になって東北本線、そして現代では東北自動車道が通過する北上川沿いの北上盆地を機軸に発展し、この機軸との中間に存在する横幅50kmほどの北上高地が障壁となり、三陸海岸は発展の潮流から完全に隔離された地域であった。それでも南側は何本かの鉄道が建設されて東西の連絡があったが、北側は日本のチベットと揶揄されるほどの過疎地帯のままであった。

 しかし、現在になってみると、この隔離されていたことが自然環境を保全するのに絶好の条件となり、知床半島や積丹半島ほどの人跡未踏の秘境ではないものの、絶壁の足元にしがみつくように点在する小振りな漁港を例外として、人工の気配のない雄大な自然がどこまでも連続する貴重な自然が現在にまで維持されてきた。その貴重さは海側から三陸海岸を眺望したとき、一層の感慨をもって理解できる。

 毎年数日ずつの三年がかりの計画で、この三陸海岸のほぼ全域をシーカヤックで漕破することができた。初年の初日は宮古のやや南側の船越漁港から出航して北上し、本州の最東になる■ケ崎の先端を通過して閉伊崎を回航して宮古までの40km。翌日は田老の海岸から出発して三陸海岸屈指の名勝である北山崎の沖合を通過して久慈までという強行日程であり、景観は満喫したものの疲労困憊の旅行であった。

 この地域の夏季は、沖合の寒流の影響で海霧が頻繁に発生し、初日の半分くらいの時間は先行するカヌーさえ見失いかねないほどの濃霧であった。それでも濃霧の前方で、轟音とともに絶壁に衝突する波浪の迫力は流石であり、まさに雄大な自然を体験しながらの一日であった。翌日は強風ではあったが天候は回復し、隆起海岸の絶壁を鑑賞しながらの長旅により、三陸海岸の北側半分を漕破したことになった。

 翌年は釜石の北側の両石漁港から出航して南下し、出入りの複雑な沈降海岸の風景を鑑賞しながら20km南側の吉浜で一泊。翌日はさらに南下して、首崎や脚岬という名前の半島の先端を通過し、大船渡湾の湾口を横切って陸前高田の手前まで到達した。天候は順調ではなく、強風のなかの難行苦行であったが、それでも東山魁夷による皇居の新宮殿大壁画を髣髴とさせる絶壁と青松と波浪という光景に感動しながらの洋上であった。

 今年は最後の区間であり、陸前高田近郊の両替漁港を早朝に出発したが、漁船も出漁を見合わせるほどの強風であり、飛沫で顔面が真白になる状態で、距離にすれば20kmにもならない区間を、ほとんど一日かけて、なんとか目的とする気仙沼湾の入口にある大島に到達した。やや危険な気象条件にもかかわらず強行突破したのには、どうしても気仙沼湾に到着しなければならない理由があったからである。

 気仙沼市に隣接する、牡蠣の養殖で有名な舞根という地域があり、そこの漁業組合が中心となって毎年六月に植林をする行事がある。牡蠣の成育に必要な海水のミネラル成分は河川を経由して森林から供給され、森林を豊穣にすることが漁業の発展になるという根拠である。この今年で13年目になる植林事業に、三重、宮城、岩手、秋田、青森の知事と一緒に参加する予定があり、強風や波浪を突破してでも到着する必要があったのである。

 この植林事業は「森は海の恋人」という名句とともに有名となっており、今年も全国から多数が参加して、植林する場所の確保が課題になるほどの盛況であった。峻厳な地形が人間による開発を拒否して維持してきた三陸海岸の自然は、一方で自然の維持の重要さに目覚めた人間によってさらに保全されていこうとしている。自然と人間の関係の将来を示唆する事例をここに見出すことができる。


文中の■は「魚毛」を一体にしたトドという文字。





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