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論文

 しばらく以前からGNCという言葉が時々紹介されるようになってきた。グロス・ナショナル・クールの略語である。クールは今夏流行のクール・ビズのクールと同一の単語であるが、ここでは「格好いい」とか「洒落てる」というような意味で、すでにアメリカでは一九五○年代から音楽や文学を評価するときに使用されてきた言葉である。

 このGNCが日本で話題になりはじめたのは、ジャパン・ソサエティという日本の民間団体の招待により、日本に二ヶ月間滞在したダグラス・マグレイというアメリカの若手ジャーナリストが、日本での経験や印象をもとに「ジャパンズ・グロス・ナショナル・クール」という論文をアメリカの外交専門雑誌『フォーリン・ポリシー』の二○○二年六月号に発表したことを契機としている。

 その主旨は、これまでのように国力をGNP(国民総生産額)やGDP(国内総生産額)という経済の指標で評価するのではなく、これからは国民総文化力とでも翻訳できるGNCを基礎にするべきであるとし、その視点から日本を評価すると、寿司に代表される日本の食事、天然の素材を使用する日本の建築、世界各国に進出している日本のマンガやゲームなどはきわめてクールであり、日本は格好いい文化大国であると賞賛したものである。

 国民総生産額では依然として世界二位であるものの、九○年代のバブル経済の破綻から脱却できない日本にとっては有難い宣言であるが、それ以上の意味がGNCにはある。第一は情報社会の価値を象徴していることである。モノを中心とする工業社会は金銭という画一の価値で評価できたが、相互に相違があることに意味がある情報を中心とする社会では、多様な評価ができる文化を尺度にするのは妥当なことである。

 第二は中央集権から地方分権への潮流に適合することである。GNPで国力を評価する場合には、日本なり米国なりの国家を一括した中央集権の色合いが濃厚であるが、GNCが対象とする文化は地域ごとに存在するものである。クールな食事は郷土料理であるし、クールな建築も風土を反映しているし、クールな文化も郷土芸能である。そういう意味では、GNCは世界が集権から分権へ方向転換しつつある絶妙の時期に登場したということができる。

 さらに未来を見通した指標がある。GNH(グロス・ナショナル・ハッピネス)、翻訳すれば国民総幸福度となる。ヒマラヤ山脈の山麓にあるブータンのジグミ・シンゲ・ウォンチュック国王が一九八○年代の中頃に提唱した概念で、意図は「人々の幸福な生活を可能にしてくれる自然環境、精神文明、文化伝統、歴史遺産などを破壊し、家族、友人、地域社会をも犠牲にする経済成長は人間が生活する国家の成長とはいわない」というものである。

 この素晴らしい言葉が、日本がバブル経済に浮足だっていた時期に発言されていたということは、日本にとっては痛切な批判である。十数年間という一瞬の繁栄の期間に日本国民が獲得したものと、その期間に喪失したものとを比較してみれば、ブータン国王の洞察には感嘆せざるをえない。ようやくGNCで元気づけられた日本国民は、それに慢心することなくGNHを目指して精神の再建をする必要がある。

 浮世絵を評価したのはヴィンセント・ファン・ゴッホなどヨーロッパのアーティストであった。桂離宮を評価したのはブルーノ・タウトなどヨーロッパのアーキテクトであった。マンガを評価したのはアメリカのジャーナリストであった。いつも他人から指摘されて自分の価値を認識している。ぜひ自分の視点で未来を発見したいものである。



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