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論文

 筆者がデジタル・アーカイブという言葉を提起したのは約八年前のことであるが、最近では社会に浸透し、石川や京都を筆頭にして、地域の情報産業育成の目玉として推進されているし、専門の推進機関や研究機関まで設立される状況になってきた。国外でも、先進諸国だけではなく発展途上諸国でも文化政策の一環として推進されている。

 人間が発展してきた原因は多数あるが、そのひとつが事実や思考を記録して、それらを時間を経由して後世の人間が参照できるようにし、また、伝達手段を工夫して他所の空間からでも参照できるようにしたことである。その情報が蓄積された施設がアーカイブと命名されてきたわけであるが、世界規模で膨大な情報端末を接続するインターネットが登場することによって、アーカイブの様相が一変してきた。

 現在、世界のウェブサイトに蓄積されている情報は二○億頁とも四○億頁とも推定されている。その形態が書籍であれば、そのような情報のほんの一部しか参照できないが、ウェブサイトの情報は自宅の端末装置から二四時間いつでも自由に利用できるし、「グーグル」に代表される優秀な検索エンジンを駆使すれば、数語の単語を入力するだけで、必要な情報を発見することもできる。これがデジタル・アーカイブの真髄である。

 昨年、多数の数値を引用した一冊の書物を執筆したが、従来であれば卓上に所狭しと用意する必要のあった事典や辞書などはほとんど不要となり、ワードプロセッサーの画面とブラウザーの画面を端末装置に表示しておくだけで、必要な情報の大半を入手することが可能であった。この環境はカール・マルクスを筆頭に多数の作家が利用してきた大英図書館円形閲覧室をはるかに凌駕するものである。

 このようにデジタル・アーカイブは人間の知的活動を飛躍させる手段として期待されるが、何事も前向きだけでは進展しないのが人間の社会である。第一の問題は少数の検索エンジンによって人々の思考が制約されることである。昨年三月時点で、検索エンジン利用の半分以上が「グーグル」になっているが、その特定の検索エンジンのブラックボックスで検索された結果が人々の知識を構築することになり、情報統制になりかねない。

 第二の問題は、その検索順位を決定するのに、他所のウェブサイトにリンクされている頻度やアクセスされる頻度を使用している場合が多々あることである。科学論文でも引用回数は評価の基準になっているが、それは専門の学者が対象である。しかし、ウェブサイトの場合は、一般の人々が対象である。それはワイドショウの番組内容が政治を左右するのと同様に、ある側面からは危険なことでもある。

 第三かつ重要な問題は、人々の情報嗜好が特定の組織に筒抜けになることである。「グーグル」でも、個々の人物がどのようなウェブサイトにアクセスしたかを検知することは可能であるし、インターネット・エクスプローラーにも、そのような機能が組込まれていると推測されている。きわめて便利な手段は、場合によってはプライバシーと引換えで提供されているのである。

 あらゆる技術は利用方法次第である。これまでの人類の知的発展には、文書を蓄積してきたアーカイブが貢献したように、これからの社会の知的発展にはデジタル情報を蓄積したデジタル・アーカイブが重要な基盤なることは確実であり、その推進は社会の責務である。しかし、その運用方法についての監視も社会の重要な仕事なのである。





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