TOPページへ論文ページへ
論文

 イザヤ・ベンダサンが日本は国民が淡水と安全は無料だと理解している稀有な国家であると喝破したことがある。夏期には一部の都市で渇水状態になり話題になることがないわけではないが、どのような山間にも清流があり、ほとんどの都会には大河があり、最近では危惧されるようになってきた安全と比較して、日本の淡水は依然として安泰である。

 数字で紹介すると、日本の国土には年間約六五○○億立方メートルの降水があるが、蒸散してしまう三五パーセントを除外した約四二○○億立方メートルが利用可能であり、現状では、そのうち農業に五九○億立方メートル、工業に一四○億立方メートル、飲用に一六五億立方メートルを使用している。合計しても、利用可能な淡水の二○パーセント程度であるから、淡水には余裕があるということになる。

 一方、中国では黄河で河口まで水流が到達しない断流という現象が頻発し、アメリカのグレートプレーンズの穀倉地帯に農業用水を供給しているオガララ水層の水位が急速に低下するなど世界各地で問題が発生しているし、世界では人口の二○パーセントに相当する一二億人が安全な飲水を確保できていないとか、飲水が原因で毎日約二万五千人が死亡しているなど空恐ろしい数字も氾濫している。

 それらに比較すれば日本には淡水が十分にあるが、完全に安泰というわけではない。日本が世界最大の水輸入国だからである。ペットボトルに換算して約六億本に相当する三○万キロリットルのミネラルウォーターを輸入しているという問題は些細なものであり、より重要な問題は食糧という形態で大量の淡水を輸入していることである。日本は食糧自給比率四○パーセントで六○パーセントを海外から輸入しているという異常な状態にある。

 この輸入している穀物などの産地では、当然、大量の農業用水を使用している。それは一トンの小麦を育するためには二○○○トン、一トンの大豆には二五○○トン、一トンの豚肉には四一○○トン、一トンの牛肉には一万四四○○トンの淡水が必要と試算されている。その単位に日本が輸入している食糧の総量を掛算すると、八三○億トンの淡水を輸入している計算になる。これを仮想淡水というが、国内の農業用水の一・四倍にもなる。

 これもある意味では些細な問題である。より深刻な問題は淡水を商品にしようとする動向が発生してきたことである。世界規模の経済構造のなかで暗躍している巨大企業が二○世紀の石油に匹敵する商品として淡水を標的にしはじめたのである。その最初の動向が日本でも検討されている水道事業のPFI(民間資金活用事業)への移行であるが、民間企業の進出によって世界各地で問題が発生している。

 『「水」戦争の世紀』(集英社新書 二○○三)に様々な事例が紹介されているが、中米や南米へ欧米の巨大企業が進出し、水道供給が公共事業から民営事業に移行した途端、安全基準に違反した水質、大量の社員解雇による維持補修の低下、水道料金の高騰など、事業として利益を追求することを至上の目的にして、生活に必須の淡水を供給するという使命が放棄されている事例が頻繁に発生している。

 石油は重要ではあるが、使用しなくても生活することは可能である。しかし、人間の肉体の六○パーセント以上が水分であるように、淡水は生物の生存に必須である。それが目先の利益を追求するための商品にされることは、是非とも阻止しなければならない。日本の数少ない自給できる資源である淡水を維持することは二一世紀の重要課題である。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.