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論文

世界の稀少資源・淡水

 本年三月、国際連合に所属する二三の機関などが共同で発表した『世界水開発報告書』は、五○年後には世界で七○億人が淡水不足に直面するという内容で、世界各国に衝撃をもたらした。その時期に世界の人口は九○億人程度と予測されているから、九人に七人が淡水不足に直面するということである。宇宙から観察する地球は青色に光輝き、表面の七割が水面であるのに、飲水にも不足するような状態になるとは想像しがたいことである。
 しかし、地球の豊富な水量の九七・五%は海洋に存在する海水であり、人間が生活や農業に利用できる淡水は二・五%でしかない。しかも、その淡水の約七○%は南極の棚氷や高山の氷河として固定されているし、それ以外の三○%は地下に蓄積されている。我々が普通に利用できる湖沼や河川に存在している淡水は、地球全体の水量の○・○一%という微量であり、それに依存して人間は生活しているのである。
 この淡水が世界規模で不足する事態になった原因は二種ある。第一は人口が急速に増大したことである。現在の人類の直系の祖先である新人が登場した二万年前には、世界の人口は約五○○万人と推定されているが、現在では六○億人と約一二○○倍にまで増大している。地球の四六億年の歴史の最後の一瞬に爆発したのである。当然、それらの人間には飲水が必要であるから、淡水の供給と需要の関係は逼迫してくる。
 第二は人口の増大と表裏一体の関係にある農業の発明であり、とりわけ雨水だけではなく、地下や河川の淡水を利用する灌漑農業が淡水の需要を増大させた。一九世紀初頭に世界全体の灌漑農地の面積は八○○万ヘクタール程度であったが、一九六○年代には一億四○○○万ヘクタールになり、現在では二億六○○○ヘクタールに増大している。これは世界の農地面積の二○%弱であるが、世界の淡水の約七○%を消費している。


世界の紛争要因・淡水

 その結果、世界では淡水に関連する様々な問題が発生している。カザフスタンとウズベキスタンの国境に、『理科年表』には世界四位の面積として記載されているアラル海という湖水がある。年表の数字では琵琶湖の百倍に相当する六万四○○○平方キロメートルとなっているが、最近の衛星写真では三分の一の面積しかない。周辺の乾燥地帯で綿花栽培をするために、流入してくる河川の水量の大半を灌漑に使用した結果である。
 中国には世界六位の延長をもつ黄河が存在しているが、一九七○年代の初期から、河口では川幅が二○キロメートルもある大河の水流が黄海まで到達せず、途中で消滅する事態が発生しはじめた。この断流といわれる現象は最大で年間二二六日にもなり、かつて唐詩で「黄河水流無尽時」と詠唱された大河の面影はなくなりつつある。原因は上流の黄土高原での灌漑農業のため、取水が過去五○年間で三倍にも増大したことである。
 北米大陸を縦断するロッキー山脈の東側に、日本の国土面積の約一○倍はあるグレートプレーンズといわれる広大な平原がある。一帯は年降水量約八○○ミリメートルの乾燥地帯であり、農業適地ではないが、アメリカの穀倉地帯となっている。その地下にあるオガララ水層といわれる地球最大の地下水層の淡水を灌漑用水に使用しているからである。しかし、過去三○年間で地下水位は平均一二メートルも低下し、耕地面積は縮小している。
 いくつかの代表事例を紹介してきたが、これは特別な事例ではなく、湖水でいえば、中央アフリカのチャド湖、オーストラリア最大のエーア湖、カンボジアのトレンサップ湖などでも同様の湖面の縮小が発生しているし、アメリカのコロラド川、インドのインダス川でも断流が発生している。前述の黄土高原も数年で地下の水源が枯渇すると報道されている。すべての原因は共通で、流域の人口の増加と、農地の灌漑面積の増大である。
 このように淡水が貴重な資源になった結果、世界各地で淡水を原因とする紛争が多発している。古代エジプト文明を誕生させた世界最長の大河であるナイル川の水源はエジプトの隣国のスーダンとエチオピアにあるが、それを原因として両国とエジプトの関係は緊張しているし、古代メソポタミア文明の母親であるチグリス川とユーフラテス川も、その流域であるトルコ、シリア、イラク、イランの関係悪化の主要な要因である。
 エジプトの元大統領アンワル・エル・サダト「エジプトを再度戦争に突入させる唯一の問題は水源である」、国連環境計画事務局長クラウス・トーファー「将来、過激な紛争をもたらすのは淡水である」、元世界銀行副総裁イスマエル・セラゲルディン「今後の世界大戦は淡水をめぐっての戦闘になる」。これらは、ここ十年程度の発言であるが、世界の関心は石油から淡水へ移行していることを示唆するものである。


一見安泰な日本

 このような世界の深刻な状況のなかで、島国の日本には幸運なことに国際河川や国際湖沼がないために紛争はないし、モンスーン地帯にあるために降水も多量であり、淡水の現状と将来は一見安泰のようである。実際、世界各国の年降水量を比較してみると、熱帯多雨地帯の国々ほどではないものの、日本は年間平均一七一四ミリメートルであり、世界平均の九七三ミリメートルの二倍程度である。
 また、日本の陸地への降水は年間約六五○○億立方メートルである。蒸発してしまう二三○○億立方メートルを除外した四二○○億立方メートルが最大利用可能な水賦存量であり、現状では、その約二○%に相当する八九五億立方メートルしか使用していない。内訳は河川からの取水が七七五億立方メートル、地下からの揚水が一二○億立方メートルである。したがって、この数字でも日本は淡水資源に余裕があると解釈できる。
 しかし、問題がないわけではない。第一は水質の問題である。最近、年齢に関係なく多数の人々がペットボトルの飲料を愛用している光景が普通になってきた。数字では、一九九一年に約二八万キロリットルであったミネラルウォーターの消費は一○年後の二○○一年に一二五万キロリットルと四・五倍になり、二○○二年には一四○万キロリットルを突破している。しかも輸入が約三○万キロリットルもある。
 これは水道の水質が低下していることを反映したものである。関西地方の最大の水源である琵琶湖では、一九六九年に植物プランクトンが異常発生、七七年に赤潮発生などがあり、一定水量のなかの生物総数は五五年から九五年にかけて百倍以上に増大した。その対策として塩素の投入を増大させたためにトリハロメタン問題が発生するというマイナスの循環により、飲料としては適切ではない状態になっている。


淡水輸入大国・日本

 第二は日本が世界最大の淡水の輸入国家という問題である。前述したように、現状で日本は利用可能な水量の約二○%しか使用していないし、ミネラルウォーターを五○○ミリリットルのペットボトルにして六億本分を輸入しているといっても、量的には年間に消費する生活用水の○・○○○三%程度であり、輸入大国ということにはなりそうにない。ところが、日本は様々な農業製品や工業製品という形態で淡水を輸入しているのである。
 コメ、小麦、牛肉、豚肉など、食糧を生産するためには淡水が必要である。そこで各種の食糧をトンあたり生産するのに必要な淡水を計算してみると【表一】のようになり、これが仮想淡水(バーチャル・ウォーター)と命名されている。そして、周知のように、日本は熱量基準による食糧自給比率が約四○%という異常な食料輸入国家であり、その食糧ごとの輸入数量を掛算してみると、大量の淡水を輸入していることになる。

 前述のように、日本の淡水使用の総量は年間八九五億トンであり、それを農業用水、工業用水、生活用水に区分すると、それぞれ五九○億トン、一四○億トン、一六五億トンになる。その一方で、上記の計算のように食糧の形態や工業製品の形態やミネラルウォーターとして淡水を輸入しているので、それらを合計すると【表二】のように、国内の消費にほぼ匹敵する八四三億トンの淡水を海外から輸入している結果になる。

必要な淡水長期政策

 日本のダム建設について賛否両論がある。必要という立場では、日本の年降水量は世界平均の二倍程度あるが、人口あたりでは世界平均の約二○%しかないとか、日本にある二六○○以上のダムの総貯水量は二○○億トン程度であるが、これはアメリカのコロラド渓谷にあるフーバーダムの四○○億トンの半分しかないとか、日本の一人あたりのダム貯水容量は約一六○トン、アメリカは約五四○トンというような数字が羅列される。
 不要という立場では、人間が生活していないような地域の降水も合計した世界平均と高密に生活している日本を同列には比較できないとか、年間の降水総量ではなく、そこから蒸発する部分を引算した水賦存量で比較する必要があるとか、面積や形状が相違する国土で比較しても意味がないという意見が羅列される。これらの対立は淡水資源の役割をどのように解釈するかによっている。
 武力による安全保障などとは別種の日常生活の安全保障という視点から解釈すれば、淡水は第一に必要な資源であるし、第二は食糧である。その食糧の約六○%、穀類では約七○%を海外に依存している現在の日本は異常な状態であり、自給比率を向上させていくことは安全保障の視点から必須の政策である。今後、世界大戦の最大の要因となるという意見さえある淡水というものを確保していく長期の構想の策定が必要である。




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