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論文

 新型コロナウイルスが依然として世界規模で拡大していますが、このような時に重要な仕事は危機管理です。
 そこでこれまで様々な分野で発生した問題について、危機管理が成功した例と上手くいかなかった例を紹介しながら、どのような対応が重要かを考えてみたいと思います。
 今回の新型コロナウイルスについて、日本の対応は必ずしも適切とは言えませんでした。
 重要な事項だけを振り返ってみると、中国が隠蔽していたかどうかは別にして、日本の厚生労働省が正式に情報を発表した最初は1月16日です。
 内容は1月6日に中国の武漢市から帰国した30代の日本人男性が1月10日から入院し、15日に退院したという内容です。
 ところが、この1月15日には、台湾は新型コロナウイルスによる肺炎を法定伝染病にしていますから、日本の出遅れは明らかでした。
 以後、1月24日に2人目の患者の発生、1月25日に3人目、1月26日に4人目と続き、1月31日には13人目の患者が発生していました。
 それでも日本政府は明確な対策を発表せず、出遅れ気味の世界保険機構(WHO)が1月31日に緊急事態宣言を発表しますが、日本では表立った動きはありませんでした。
 遅くとも、この時点で行動をするべきでしたが、明確な対策は発表されず、2月13日にになって27人目の患者であった80代の女性が亡くなったという発表があり、ようやく政府は対策の第一弾として帰国者支援に30億円、国内感染対策強化に65億円、水際対策強化に34億円など合計153億円の新型コロナウイルス対策第一弾を発表しました。しかも内容は経済対策中心でした。
 さらに政府が本格対策を検討するために2月16日に首相官邸で「新型コロナウイルス感染症対策本部」の閣僚会議を開催しますが、小泉環境大臣、森法務大臣、萩生田文部科学大臣が、選挙区の会合に出席するために欠席という緊張感のない状態でした。
 色々と言い訳はあるにしても、世界全体の緊急事態だという認識が薄かったのではないかと思います。

 そこで危機管理はどうしたらいいかということについての専門家の意見を調べてみると、災害対応は積極的にするべきだという「プロアクティブ(積極的)の原則」があり、以下の3点に要約できると思います。
 第一は「疑わしいときは行動する」ということです。
 これは安倍総理が2月27日に全国の小中高と特別支援学校を3月2日から春休みまで休校にするということを文部科学大臣にも事前に知らせることなく、突然発表されたことについて、3月3日の参議院予算委員会で理由を紹介された例があります。
 約100年前の1918年から翌年にかけて、スペイン風邪と言われた新型インフルエンザが地球規模で流行し、世界で5億人が感染し、1億人が死亡するという大惨事があり、日本でも当時の人口5600万人のうち45万人が死亡しています。
 そのときアメリカ東部のフィラデルフィアでは住民の感染率が10.8%を超えるまで対策をしなかったため、200万人の人口の0.73%に当たる1万5000人が死亡しました。
 一方、中部のセントルイスでは最初の死亡者が出た途端に市長が緊急事態宣言を発令し、学校、教会、劇場、スーパーマーケットなどを閉鎖し、集会を禁止したために死亡率は0.3%にとどまり、患者数が急増することもなく、医療サービスも破綻しませんでした。
 セントルイスでは経済活動が停滞し、市長は批判されましたが「私は市民が死ぬことは望まない」と宣言して断行したと言われています。
 「疑わしいときは行動する」の手本だと思います。

 第二は「最悪の事態を想定して行動する」ということです。
 先月、プロ野球の監督であった野村克也さんが亡くなられましたが、数々の名言を残しておられます。
 その中でも有名なのは「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉です。
 これは江戸末期の九州の平戸藩の第9代藩主の松浦(まつら)清の剣術書『剣談』にある言葉ですが、負けるというのは負けるべき理由が明確に存在するという意味です。
 野村監督は「負けない態勢を作るのは監督の仕事であるが、勝てる機会を得るのは相手次第だ」と説明しておられます。
 今回の新型コロナウイルス対策も、その言葉のように、早めに負けない態勢を作ることが政府の役割だったのですが、多くの批判があるように負け始めてから対策を出してきたのではないかという印象を受けます。

 第三も野球に例えて言えば「空振りは許されるが、見逃しは許されない」ということです。
 今回の対策で言えば、セントルイスのように早めに対策を実行して、仮に事態は想定より軽く収まってしまっても、それは許されるという考えです。
 昨年9月に房総半島を台風が通過して死者は3人でしたが、家屋の全壊と半壊を合計すると4600戸になる被害でした。
 千葉県の災害時対応マニュアルには「市町村へ県職員を派遣し情報収集を行う」と明記されていますが、台風が直撃してから4日目にようやく県職員が派遣されました。道路が寸断されたという事情があったにしても見逃し気味だったと思います。
 11月に有識者が県の対応を検証する会議が開かれましたが、気象庁が厳重な警戒を呼びかけた会見を千葉県の危機管理部門の幹部が見ていなかったため「災害警戒体制」をとっていなかったことが明らかになっています。   
 「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉は科学者の寺田寅彦の言葉と誤解されており、彼は「防災は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はない」と書いていますが、個人としては歴史を記憶し、社会としては歴史を記録し、見逃し三振をしない努力が必要だと思います。





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