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論文

 地質時代の名前に「チバニアン」が登場したことを紹介したいと思います。
 先週17日の金曜日に日本の科学界にとって画期的な出来事がありました。
 韓国の釜山で開かれていた国際地質科学連合の理事会で、日本のある提案が認定されたのです。
 内容は地球の歴史で現在から77万年前から13万年前までの65万年間を「チバニアン」という名称にすることが決まったのです。
 地球は46億年前に誕生したとされていますが、この歴史は大きく2つに分けられています。
 現在から数千年前までの文字による記録がある時代を「有史時代」と言い、それ以前の45億9999万年間、比率にすると99・9999%の時代を「先史時代」または「地質時代」と言います。
 文字による記録があれば、それによって歴史を調べることができますが、それ以前は地面に残されている岩石や化石などの痕跡でしか調査できないので、地質時代というわけです。

 その地質の変化の一つに、地球の南北の磁石の方向がどちらに向いていたかを調べて時代を区切る方法があります。
 地球の南北は磁石が示す方向によって決まっているかのようですが、絶えず動いています。
 磁石が示す北を北磁極と言いますが、これは地図上の北緯90度、すなわち北極点にあるのではなく、絶えず動いています。
 例えば西暦1600年から1700年頃、すなわち300年から400年前には北緯75度くらいにありましたが、1900年頃には北緯70度付近まで南下し、1950年代には北緯75度に戻り、2000年頃、ほんの20年前には北緯80度まで北上し、現在はさらに北緯85度近くまで北上しています。
 緯度1度は111キロメートルですから、1900年から2000年までの最近100年間で10度、すなわち1110キロメートル、平均すれば1年に10キロメートル以上移動してきたことになります。
 特に21世紀になってからの20年間では550キロメートル近く移動していますから、平均して年間55キロメートルは移動しているのです。

 そうすると長い地球の歴史の中では北磁極と南磁極が逆転していた時代もあることになり、これまでも数10万年単位で逆転していたようです。
 そのもっとも最近に逆転していた時代が77万年前から13万年前までの65万年間で、その逆転していた証拠となる地層が千葉県の房総半島の中央にある養老渓谷の崖に残されているということを日本の研究者たちが発見し、国際地質科学連合に「チバニアン」と命名することを申請していたのです。
 この標準原器に相当する地層は世界で一カ所しか認められませんが、一度、決まると世界の年代を決めるメートル原器のような役割になるので、4段階の審査があるのですが、イタリアの提案した2個所を退けて、日本の提案が受け入れられたという画期的なことでした。
 もう一つ日本の強みは地球の磁場が南北反転することを最初に提唱したのは京都大学の松山基範(もとのり)教授という日本人だったということです。すでに1929年のことですが、当時は世界の学会から完全に無視されていました。
 ようやく戦後の1950年代になってイギリスを中心に地磁気学が発展して松山説が認められ、先見性が明らかになったのです。

 さらに画期的だったことは、地質年代の名前の多くがヨーロッパの場所の名前になっていますが、東洋の地名が登録された最初の事例ということです。
 例えば、テレビ番組「カンブリア宮殿」の名前に使われているカンブリア紀は5億4200万年前から4億8830万年前までは海中に三葉虫や腕足類が繁殖していた5400万年間を示す名前ですが、多くの化石が連合王国のウェールズで発見されたので、ウェールズのラテン語の呼名の「カンブリア」から名付けられました。
 魚が水中に大量に発生した4億1600万年前から3億5920万年前までの5700万年間は「デボン紀」と名付けられていますが、その時代の化石が大量に発掘されたイングランド南部のデボン州に因んだ名前です。
 さらにマイケル・クライトンの小説を原作とした「ジュラシック・パーク」の「ジュラシック(ジュラ紀)」は1億9960万年前から1億4550万年前までの恐竜が大繁栄していた5400万年間を示す名称ですが、それはフランス東部からスイス西部にかけて広がる「ジュラ山脈」に因んだ名前です。
 ジュラ紀の名前が提唱されたのは、日本の江戸時代の文政年間に当たる1829年のことですから、今回、地質時代の名称に日本の地名が登録されたことは画期的であるとともに、ようやく国際社会にデビューしたという感じです。
 もう一つ日本の名前が科学の世界に記録されたのが新元素「ニホニウム(Nh)」です。現在、天然に存在する元素の新発見はなく、すべて人工的に創った元素ですが、113番目の元素として「ニホニウム」が2016年に認められました。これもアジアでは初めての快挙でした。

 日本は江戸末期から明治時代にかけて、西欧の科学や技術の存在を知り、出遅れを挽回するために必死の努力をしてきました。
 ただし富国強兵を重要な目的としていたため、技術では目覚しい成果を挙げ、本多光太郎による世界一強力な永久磁石となる「KS鋼」、池田菊苗(きくなえ)による「グルタミン酸ソーダ」、八木秀次(ひでつぐ)による「八木アンテナ」、加藤与五郎と武井武による「フェライト」など、世界最初の発明が登場しています。
 しかし、科学では戦後になって湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞をはじめ、22名の科学系のノーベル賞受賞者を排出し、アメリカ、イギリス、ドイツに次いで4番目に多い国になってきましたが、国際標準となる発見はまだまだです。
 さらに今回の「チバニアン」についても、理由は定かではありませんが反対する学者や地層のある周辺の用地の賃借権を取得して立ち入れできないようにしようという動きがありました。
 科学や技術の世界では国際標準を持つことは大変な力になります。このチバニアンを契機に国際標準を獲得する科学でも力を発揮することを期待したいと思います。





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