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論文

 明日4月6日はアメリカ人探検家ロバート・ピアリーが、109年前の1909年に西洋人として最初に北極点に到達したとされる日です。
 「西洋人として」という前書きを付けたのは、北極圏に生活するイヌイットは1万5000年以上前にシベリアから北米大陸に移動してきたと推定されていますから、はるか以前に北極点に到達している可能性があるからです。
 アメリカの辛辣な評論家アート・バックウォルドの「だれがコロンブスを発見したか」という短編があります。一般には1492年にコロンブスがアメリカ大陸の手前のサン・サルバドル島に到達したとされていますが、アメリカインディアンの間では誰が最初にコロンブスを出迎えたかの先陣争いが起こっているという皮肉な内容です。
 このような西洋本位の歴史観を変えようと2008年から6年間、『先住民族の叡智に学ぶ』というテレビジョン番組を作りましたが、ピアリーが北極点に到達したのも、あくまで西洋人としての最初の到達ということです。
 しかも最初に「到達したとされる日です」と説明したのは、それにも疑問があるとされるからです。

 それは後でご説明するとして、16世紀末から西洋人の北極探検が活発になります。
 理由は一番乗りしたいという名誉もありますが、北西航路といわれる大西洋と太平洋を結ぶ航路を発見することが重要な目的でもありました。
 1519年から22年にかけて、ポルトガル人のフェルディナンド・マゼランが指揮する艦隊が南米大陸南端のマゼラン海峡を通過し、大西洋と太平洋を連絡する航路を発見していますが、これは北半球のヨーロッパからは遠いので、北米大陸の北部を通過できれば短距離になるという思惑もありました。
 そこでバレンツ海に名前を残すオランダ人ウィレム・バレンツ、ハドソン湾に名前を残すイギリス人ヘンリー・ハドソンなどが次々と挑戦し、1831年には南極探検でも業績のあるイギリス人のジェームズ・クラーク・ロスが地球の磁石の中心である北磁極に到達しますが、北極点には到達できませんでした。

 そこに登場してきたのがアメリカ人のピアリーです。
 彼は1891年から97年までにグリーンランドの探検を4回おこない、98年から北極点に向けて4回も挑戦し、その間に凍傷になって足の指を8本も失ってしまいますが、それにもめげず、1906年には北極点まで後280kmという地点まで到達します。
 それによってナショナル・ジオグラフィック協会がメダルを授与し、さらに次の冒険の資金を提供することを約束します。
 そこで1908年に24人の隊員、19台のソリ、133匹の犬を船に乗せてニューヨークを出発して北緯87度47分に到着し、ベースキャンプを設営します。北極点まで直線で310kmほどの位置です。
 そこからピアリー以外に、隊員マシュー・ヘンソンと4人のイヌイットで1909年4月1日に出発、6日に北極点に到着し、日記に「23年間の夢がついに我がものになる」と記録しました。
 しかし、当時は十分な通信手段がなかったため、ピアリーの「星条旗を北極点に立てた」という電報がニューヨークの通信社に届いたのが9月6日でした。

 ところがグリーンランドの探検時代の仲間であったフレデリック・クックが5日前の9月1日に「自分は1年前の1908年4月21日に北極点に到達している」という電報を送ってきていたため、アメリカではマスメディアや政界を2分する大騒ぎになります。
 そこで全米地理学会が調査委員会を設けて検証しますが、クックの方が先に到達したという主張は認められませんでした。
 クックがアラスカにある北米大陸最高峰のマッキンリー(現在はデナリ)に初登頂したときの同僚が1000万円にもなる金額で買収されて虚偽の証言をした影響と言われています。
 さらに1911年にアメリカ議会の海事委員会が審議し、ピアリーが証拠となる天体観測データを提出しなかったため、委員長のバトラー上院議員は「あなたの言葉は信じるが、その証拠は何も知らない」と締めくくり、票決では4:3という僅差でピアリーの到達が認められることになりました。
 ドイツの天文学者グスタフ・ガレ教授は「ピアリーは北極点に到達したかもしれないが、本人は知らなかっただろう」という皮肉な言葉を残しています。
 それでもピアリーはアメリカ議会から表彰され、海軍少将になるという栄誉を得、1920年に亡くなった時にはアーリントンの国立墓地に埋葬されました。

 しかし、その後の様々な調査の結果、ピアリーが到達したのは北緯89度57分で北極点から6km手前の地点であったとか、194km手前の88度15分で諦めたというような情報が次第に明らかになり、ピアリーの到達は怪しいということになってしまいました。
 氷の上を進んで確実に北極点に到達したのは、1968年にアメリカのラルフ・プレイステッドがスノーモービルで、1969年にイギリスのウォリー・ハーバードが犬ゾリで到達しており、1978年には日本の植村直己さんも犬ゾリで到達しています。

 現在では、地球温暖化の影響で北極海の海氷が減少し、北極航路は有望になっていますし、北極点に到達するのも誰でも可能になり、このような先人の苦労が嘘のような状態です。
 実際に費用こそ一人400万円から500万円が必要ですが、約2週間の日程で誰でも北極点に到達する団体旅行があります。
 フィンランドのヘルシンキからロシアのムルマンスクに飛行機で飛び、そこからロシアの2万5800トンの原子力砕氷船「フィフティ・イアーズ・オブ・ヴィクトリー」で氷を割りながら進み、4日ほどかけて北極点に到着し、氷上でバーベキューなどを楽しんで帰ってくることができます。
 ほんの100年前には命を賭けた冒険が、地球温暖化の影響と技術の進歩で誰でも観光旅行が可能になったことは喜んでいいのか、地球に未踏の世界が無くなった残念なことなのか複雑な現象です。





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