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論文

 今月10月1日にアメリカのラスベガスで銃乱射事件が発生し、58名が亡くなり、489人が負傷しました。
 これはアメリカの銃乱射事件史上最大の死者数です。
 以下2位は2016年6月にフロリダ州オーランドのナイトクラブで発生した乱射事件で死者50名、3位が2007年4月に発生したバージニア工科大学での乱射事件で33人、4位が2012年12月にコネチカット州で発生したサンディフック小学校での事件で28名というように、すべて今世紀になってから発生した事件です。

 世界全体で調べてもアメリカは突出しており、やや古い数字ですが、4人以上の死者が発生した事件を1996年から2012年までの17年間について累計してみると、アメリカが90件で1位、2位はフィリピンの18件、3位がロシアの15件、4位がイエメンの11件、5位がフランスの10件ですから、アメリカが異常な国だということがわかると思います。
 さらにアメリカと日本の銃による殺人事件の件数を比較した調査でも、2006年にはアメリカの1万225件に対し日本は2件、2007年は1万86件と22件、2008年は9484件と11件とまさに桁違い、雲泥の差です。

 その理由は明確で、アメリカは民間人が所有している銃の数が異常に多い社会だからです。
 2011年の数字ですが、アメリカは民間で2億7000万丁の銃を保有しており、2位のインドの4600万丁、3位の中国の4000万丁をはるかに追い抜いています。
 しかも、インドと中国は人口が桁違いですから、人口100人あたりの銃の保有数を計算すると、1位のアメリカが89丁、2位のイエメンが55丁、3位のスイスが46丁で、インドは4丁、中国は3丁でしかありません。
 日本は民間の所有の合計が71万丁で、1人あたりでは0・6丁でしかなく、178カ国中164位です。
 スイスが多いのは意外と思われかもしれませんが、国民皆兵制度を実施しており、自分の武器は自宅で保管することになっているためです。

 今回のラスベガスでの事件が発生すると、アメリカでは銃規制をするべきだという声が当然、上がりますが、いつも反対派が多くて実現しません。
 その反対の根拠が「アメリカ合衆国憲法修正第2条」の「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利はこれを侵してはならない」という条文です。
 ただし、この民兵(ミリシャ)は州兵の意味で、広く国民という意味ではないという学説もありますが、2008年に連邦最高裁判所が「個人」であると認めたため、銃規制反対の根拠とされています。
 さらに毎回、事件が発生した時に話題になるのが、会員数400万人を誇る全米ライフル協会(NRA)の反対です。
 この協会は毎年、ロビー活動に多額の資金を投入しており、2001年から2008年までは毎年1億6000万円程度でしたが、2011年から今年までは毎年3億2000万円から3億8000万円を国会議員に寄付しており、それ以外にも選挙の応援で数億円を投入しているため、なかなか政治家による反対運動が拡大しない実態もあります。
 今回の事件の後、トランプ大統領はラスベガスを訪問していますが、銃規制には一言も言及しませんでした。
 それはトランプ氏が共和党の候補指名が確実になった段階以後、全米ライフル協会の支持を得ていたという背景があるからです。
 さらにアメリカは連邦国家であるため、最も規制の厳しい首都ワシントンから、州による所有許可も登録も免許も不要なデアラウェア州まで州ごとに事情が違うため、一律の規制は極めて困難という事情もあります。
 それ以外にも銃社会の問題は、自殺に使用されていることです。
 2016年にアメリカで銃による死者は1万1004人ですが、乱射事件で死亡した人は71人で、半分の5500人は銃で自殺した人で、ここにも銃社会の問題が現れています。

 このようなアメリカと比較すると日本は大変に安全な国ですが、その背景にあるのが刀狩の歴史です。
 日本での刀狩は鎌倉幕府の第3代執権の北条泰時(やすとき)が安貞2(1228)年に高野山の僧侶に武器の所有を禁止したのが最初とされ、第5代執権の北条時頼(ときより)も庶民の刀と弓矢の所持を禁止していますが、やはり全国規模の刀狩を推進したのは天下統一を実現した豊臣秀吉が天正16(1588)年に布告した「刀狩令」です。
 これは3か条からなり、第1条は「百姓が武器を持つことを禁じ、違反した場合は罰する」、第2条は「没収した武器は、百姓があの世で救われるように、建設中の方広寺の大仏や釘などに使用する」、第3条は「百姓は農具を持って耕作に励めば、子孫代々無事に暮らせるようになるから、ありがたく思って耕作に励め」という内容でした。
 豊臣秀吉は天下統一してから逝去するまで12年ほどしか国内を支配しませんでしたが、戦国時代を終わらせた上、「バテレン禁止令」(天正15(1587)年)「刀狩令」(1588)「太閤検地」(1589)を次々と実施し、近世日本の基礎を作ったという功績があります。
 とりわけ「刀狩令」は、現在の世界有数の安全な国家を作ったという意味で、もっと評価されるべきだと思います。
 明治時代になって、刀剣については「廃刀令」、銃については「鉄砲取締規則」を制定し、大幅に規制をしましたが、さらに戦後の1946年には連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ)の「鉄砲等所持禁止令」により、鉄砲は狩猟と射撃競技用のみ、刀剣は美術用のみ所有が許され、300万本以上の刀剣が没収されました。
 これによって日本刀の名刀が大量に海外に流出するという文化損失は発生しましたが、世界でも有数の安全な国家が維持されてきたと考えれば感謝すべき制度だったと思います。





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