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論文

 今日は世界を変えた言葉の力について考えてみたいと思います。
 日本には「言霊(ことだま)」という表現があるように、言葉には霊力があり、言葉を声にして発すると、現実の事象に影響すると信じられてきました。
 柿本人麻呂は「しきしまの/大和の国は言霊の/たすくる国ぞ/まさきくありこそ」という歌を残しています。

 現代でも、言葉を仕事の手段とする作家はもちろんですが、力のある言葉を残している経営者も多数存在します。
 それらの中でも数多くの名言を残している一人が「アップル」を創業したスティーブ・ジョブズで、彼の名言を集めた本まで出版されています。
 先日、上場した世界最大の石油会社「サウジアラムコ」は時価総額200兆円を突破し世界一になりましたが、それまでは「アップル」が約120兆円で1位でした。
 その起源はスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックなど3人の若者が1976年に創業した「アップル・コンピュータ・カンパニー」ですが、それが急速に成長したのは、1983年にペプシコの事業担当社長であったジョン・スカリーを社長にスカウトしてからです。
 大企業の社長が創立してから10年にもならないベンチャー企業の社長を引き受けたのが、言葉の魔術師ジョブスの「このまま一生、砂糖水を売り続けたいか、私と一緒に世界を変えたいか?」という名言でした。
 その言葉のように、アップルはパーソナル・コンピュータ以外にも、iPod(2001)、iPhone(2007)、iPad(2010)など情報社会の風景を変える製品を社会に提供し、情報社会を変えてきました。

 これは企業の栄枯盛衰を決めた言葉ですが、国家の栄枯盛衰を決めた言葉も数多くあります。
 18世紀終盤から19世紀初頭にかけては、フランスのナポレオンがヨーロッパの大半を支配し、残るのはイギリス、ロシア、オスマン帝国のみという状態でした。
 そこでついに1805年10月に、フランス帝国とスペイン王国の連合艦隊とイギリスの艦隊が、スペイン南部の大西洋に面したトラファルガー岬の沖で対戦する「トラファルガーの海戦」が発生します。
 イギリスの戦艦が27隻、フランスとスペインの戦艦が33隻という一大決戦でした。
 それまでの海戦の戦略は、それぞれの艦隊が一列になり、すれ違いながら砲撃をして相手を破るという方法が普通でしたが、この時のイギリス艦隊の指揮官ホレーショ・ネルソンは「ネルソン・タッチ」と言われる戦法をとり、一列縦隊で進行するフランス・スペイン連合艦隊の中央部分に二列縦隊で真横から襲撃する攻撃をしました。
 その慣れない戦法に連合艦隊は混乱し、短時間の決戦で、連合艦隊の約4500名という死者に対し、イギリス艦隊は450名という大勝になりました。
 その開戦の直前に、ネルソンが戦艦に掲げさせたZ旗が有名な「イギリスは各員が、その義務を果たすことを期待する」という内容でした。
 Zはアルファベットの最後で、後は無いと言うことを意味しています。
 この言葉に発奮した兵士の奮闘で海戦には勝利しましたが、ネルソンは狙撃兵の銃弾に当たり死亡します。
 その間際の言葉「神に感謝する。私は義務を果たした(Thank God. I have done my duty)」も有名です。
 遺体は腐敗を防ぐためにブランデーの樽に入れられて本国に戻りますが、ネルソンは兵士に大変に尊敬されており、帰国の途上で、彼らがネルソンにあやかりたいと樽からブランデーを盗み飲みしたため、本国に戻った時、樽の中は空っぽだったと言われています。
 この勝利によってイギリスは独立を維持できたため、ロンドン市内の中心に祝賀のための「トラファルガー広場」が造られ、その中央に高さ46メートルのネルソン記念塔が建てられ、ネルソンの彫像が飾られています。

 それから丁度100年後の日本で同じことが起こりました。有名な日本海海戦です。
 大日本帝国海軍連合艦隊は、1904年10月にバルト海を出港し、7ヶ月かけて対馬海峡に到達したロシア帝国のバルチック艦隊と1905年5月27日から28日にかけて戦います。
 指揮官の東郷平八郎大将は、ネルソン提督の「ネルソン・タッチ」と同様に、「東郷ターン」と言われる作戦で、敵艦隊の先頭の前を横切るという大胆な戦闘形式で勝利します。
 その戦闘に関して有名な2種類の文章があります。
 まず5月27日に中央気象台が対馬海峡付近の気象を予報し、大本営に「天気晴朗ナルモ波タカカルヘシ」という情報を送り、それが軍艦に乗船している東郷平八郎司令長官に転送されました。
 それは偵察していた「信濃丸」がバルチック艦隊を発見した直後でしたので、直ちに艦隊を出撃させ、同時に大本営に「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」と電報を打ちます。
 この最後の文章は主席参謀秋山真之(さねゆき)が追加したとされています。 
 そして、いよいよ戦闘開始という時に、旗艦「三笠」に掲げられたのが、トラファルガー海戦と同様にZ旗で、「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」という意味を示しました。
 この文章は秋山の作とされていますが、それより38年前の1868年に戊辰戦争で死亡した安芸藩の高間(たかま)省三が、死ぬ直前に父親に送った手紙に「皇国の興廃は今日の戦いに在り」と書かれているそうです。
 いずれにせよ、フランスの支配下にならなかったイギリスと同様、日本も日本海海戦で勝利したために、ロシア帝国の植民地になることを免れたわけで、それまでの訓練の積み重ねも重要ですが、極限状態において言葉というものが如何に力を持つ手段であるかを証明しています。
 言葉は時代とともに変化する性質を持つ手段ですから、仕方がありませんが、最近の日本語は言霊と呼ぶには軽すぎる気もします。





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