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論文

 日本の将来には人口減少、高齢社会、財政赤字など難問が待ち構えていますが、それに並ぶほど空家問題も深刻です。
 戦後すぐの1948年から5年ごとに実施されている住宅の実態調査によると、1948年には0.4%と実質、空家ゼロという住宅難の時代でした。
 しかし、1955年に日本住宅公団が設立されて公的な住宅建設が進むとともに、民間の建設会社の新築も増加しはじめ、空家の比率が増え、1973年に5%を突破、1996年頃に10%を突破するほどになってきました。
 当然、新しく建てられる住宅の戸数は減っていき、最盛期の1973年には年間191万戸でしたが、昨年は97万戸で最盛期の半分になり、住宅産業も苦労している状況です。
 それでも人口は減っていきますから、今後の予測によると、来年には空家比率が15%を突破、6年後には20%を突破、16年後の2033年には30%を突破という状態です。
 実数では来年に空家が1000万戸を突破、2033年には2145万戸を突破します。
 現在の東京と千葉の住宅戸数が1026万戸、それに茨城、栃木、群馬、埼玉、神奈川、山梨を加えた首都圏の1都7県の住宅戸数が2135万戸ですから、事態の深刻さがご理解いただけるかと思います。

 引越しをするときに、引越し先に空家が比較的容易に見つかるためには空家率が5%から8%が適正という研究もありますから、現状の15%弱という数字は余りすぎということになります。
 これは住宅だけの問題ではなく、空家が増えると、老朽した住宅が景観を悪化させる、犯罪に利用される、放火されて火災の原因になるなどの地域社会の問題の原因にもなります。
 そこで3年前に「空家等対策特別措置法」が制定され、適切に管理されていない空家を自治体が「特定空家」に指定して、罰金を課したり、ゴミを撤去し、場合によっては解体し、その費用を所有者に請求する制度もできています。
 そのような後ろ向きの制度だけではなく、自治体が「空き家バンク」を作って移住したい人に空家の情報を提供したり、地域社会で空家を集会施設や宿泊施設に転用する努力も始まっています。

 今週、ある外国人夫妻の努力で空家問題が解決の方向に向かった町を見学に行ってきましたので、ご紹介したいと思います。
 場所は新潟県の松代(まつだい)という地方都市です。
 2005年に合併されて、現在は十日町市の一部になっていますが、人口4200人ほどの地方都市です。
 東京からは上越新幹線の越後湯沢駅で「北越急行ほくほく線」に乗り換えて40分ほどの場所にあります。
 日本有数の豪雪地帯ですが、無人駅の駅前にはわずかな商店が集まっているものの、そこを離れると一気に農村地帯で、「星峠の棚田」をはじめ、いくつもの棚田があるように、山麓の傾斜地を田畑にしている典型的な山村です。
 ちなみに「星峠の棚田」は、直江兼続(なおえかねつぐ)を主人公としたNHKの大河ドラマ「天地人」(2009)のオープニングの場面に使われている場所です。

 この山奥の竹所(たけどころ)という集落にドイツ人のカール・ベンクスさんとクリスティーナ・ベンクスさん夫妻が住んでおられます。
 カールさんは1942年に東ベルリンに生まれ、19歳の時に川を泳いで渡り、鉄条網をくぐり抜けて西ベルリンに脱出し、さらにパリに移って建築設計事務所で仕事をした経験のある方です。
 第二次世界大戦で戦死された父親が画家で日本文化に関心があったので、空手に興味を持ち、24歳の時、空手の修行のため日本大学に留学し、父親の蔵書であったブルーノ・タウトの名著『日本美の再発見』を読んでいたので、船で到着した神戸から京都に行って感動し、その後、東京で建築の仕事をします。
 ドイツの友人から日本の茶室や民家を移築してほしいという要望があったので、その仕事をしていた所、日本の古い民家が急速に壊されている現実を目撃し、古民家を探しに来た松代を気に入り、54歳の時に、古民家を改造して生活するようになります。

 それが評判になって、古民家を再生する仕事を中心に活動しはじめ、これまで地元で8軒、全国では50軒にもなる古民家を蘇がえらせてきました。
 これだけであれば、外国生まれの建築家が古民家の再生に取り組んでいるというだけのことかもしれませんが、そのような蘇った建物を見学するベンクス詣の観光客が来訪するようになり、さらには大都市から移住してくる人が増えるようになりました。
 これまで竹所集落は人口が減り続け、2011年には8世帯16人までになっていましたが、2016年には14世帯31人まで増加し、それらの人々がレストランや喫茶店を開くまでになり、奇跡の集落と言われています。
 その成果によって、今年2月にはベンクス夫妻に「ふるさとづくり内閣総理大臣賞」が授与されました。

 ベンクスさんが日本に憧れた原因はブルーノ・タウトが1933年に桂離宮を初めて訪れたときの感動を「泣きたくなるほど美しい」と記した著書などの影響ですが、それまで日本人は桂離宮にほとんど関心がありませんでした。しかし、タウトの賞賛によって素晴らしいと見直したのです。
 同様に江戸の浮世絵師・写楽は明治以降、忘れられていましたが、1910年にドイツ人の美術評論家ユリウス・クルトが『SHARAKU』という著書で、写楽をベラスケス、ルーベンスと並ぶ世界三大肖像画家と評価してから、一気に人気と値段が爆発したという例もあります。
 和食も2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、和食の素晴らしさを最初に認めたのはアメリカ政府で、過度の肉食がアメリカ人の生活習慣病の増加の原因で、魚食中心の和食が素晴らしいと発表したのが1977年のことです。
 それにもかかわらず、日本では1人あたりの魚の消費量は1995年を頂点に減り始め、2010年には肉の消費量に追い越されてしまっています。

 我々は、あまりに身近にあるものの価値に気がつかず、外国人に発見してもらって初めて気づいたという例が数多くあります。ベンクスさんの活動は自分の目で足元の資産に気付くことが重要だということを教えてくれるものです。





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