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論文

 ノーベル生理学医学賞を受賞された大隅良典(おおすみよしのり)博士が、研究について「役に立つという言葉が社会を駄目にしていると思う。本当に役に立つのは10年後か20年後か、あるいは100年後かもしれない」と発言しておられます。
 一般の方から見ると、のんびりした羨ましい世界だと思われるかも知れませんが、その通りだという一例を紹介します。

 19世紀中頃のイギリスにジョージ・ブールという哲学を専門とする大学教授がいました。
 数学の論文を発表するほど数学が得意だったのですが、1847年「論理学の数学的分析」という論文を発表しています。
 哲学の分野に三段論法という概念があります。
 これは「すべての人間は死ぬ/ソクラテスは人間である/したがってソクラテスは死ぬ」というような推論をする方法です。
 このような方法を記号の演算で証明するというのがブールの提唱した方法で、一般に「ブール代数」と呼ばれています。
 このような学問が何の役に立つのか分からず、まったく注目されませんでしたが、ほぼ百年が経過してから、これが大変重要な役割をする分野が登場しました。
 デジタル・コンピュータの設計です。
 コンピュータの計算をする部分の基本の構成は、一方から0か1の信号、もう一方からも0か1の信号が入ってきたとき、両方とも1の時のみ1という信号を出力する装置と、どちらかが1であれば1という信号を出力するという装置を複雑に組合わせて高度な計算をするようになっています。
 これは一種の論理学ですから、ブール代数で計算することができ、コンピュータの設計には無くてはならない手段になり、大学でも教えるようになったのです。
 世界最初のデジタル・コンピュータは1940年代に開発されていますので、大隅博士が言われるように、ブール代数は100年後に役に立つようになったということになります。

 社会には、このような基礎分野も必要ですが、企業や大学での研究の大半が数10年先まで待ってくれというわけには行きませんので、実学といわれる工学、農学、薬学などでは早く成果が出ることが期待されます。
 このような分野では、象牙の塔といわれた大学は今は昔で、自分で起業して社会に役立つ成果を普及させる研究者が増えてきました。

 ミドリムシという藻類を食品や燃料にするユーグレナという会社を設立した出雲充(いずもみつる)社長は東京大学農学部の出身ですが、学生時代にミドリムシを研究し、それを世界の食料危機やエネルギー危機の解決の切札にしようと一念発起し、一時、銀行に勤務していたのですが辞めて、自分でミドリムシを大量培養して製品にする会社を設立、数10億円の売上の会社に発展させておられます。

 これも有名ですが、一般にパワードスーツと言われる人間の歩行能力などを支援する装置HALを製造発売しているサイバーダインという会社を設立した山海嘉之(さんかいよしゆき)社長は筑波大学でロボットの研究をし、それを身体の不自由な人を支援する装置にしようと会社を設立され、世界に提供しておられます。

 同じ分野の製品でマッスルスーツを開発販売しているイノフィスという会社も東京理科大学の小林宏教授が自分の力で歩くことの出来ない人を助けてあげたいという信念で、身体に装着して歩行を補助する装置を研究され、その成果を社会に普及させるために設立された会社です。

 このような例を紹介すると、大変な技術開発をしないといけないと思われるかも知れませんが、意外な大学発の製品もあります。
 日本航空の国際線に乗ると機内食に「そらなっとう」という名前の納豆が出てくることがあります。
 飛行機会社だから「そら」という名前を付けているのだろうと思われるかもしれませんが、この納豆は空に密接な関係があるのです。
 金沢大学理工研究域の牧輝弥(まきてるや)准教授は中国のタクラマカン砂漠一帯から飛来してくる黄砂を研究しておられ、実際にタクラマカン砂漠や能登半島などで上空の黄砂を採集しておられました。
 目的は黄砂などエアロゾルといわれる微細な粒子が人間や動植物にもたらす被害を研究することだったのですが、あまりにもマイナスの側面を発表しすぎたために、中国政府からタクラマカン砂漠で黄砂を採集することを禁止されてしまいました。
 それならば黄砂が役に立っている面も研究しようと、黄砂に付着して飛来してくる細菌や花粉などバイオエアロゾルといわれる生物由来の粒子を、能登半島の上空で軽飛行機やバルーンを飛ばして採集して調べていたところ、その中に納豆菌を発見されたのです。
 そこで石川県にある納豆会社に持ち込んで製品にしてもらったそうです。
 最初は研究室の学生も試食を拒否していたのですが、試行錯誤して完成したのが「そらなっとう」というわけです。
 私も食べてみましたが、昆虫食よりははるかに安心して食べることの出来る美味しい納豆でした。
 食べて見たい方が居られると思いますが、残念ながら金沢大学の生協の食堂と石川県内のスーパーマーケット(100円/2個)でしか販売していませんので、金沢に行かれたときに買われたらどうかと思います。

 それ以外にも農産物や食料品の分野では、山梨大学のワイン科学研究センターの開発した様々なワイン、新潟大学農学部が開発した「新雪(しんせつ)物語」という日本酒、鹿児島大学の焼酎・発酵学教育研究センターの何種類かの焼酎、弘前大学の農場で育成した「こうこう」という黄色のリンゴなど、地域の伝統文化を反映した製品が商品になっています。
 日本は象牙の塔という感覚が残っており、大学を基盤としたベンチャー企業が少ない状態ですが、ぜひ新しい産業分野を大学から開拓していく気運が起こればと思います。





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