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論文

 先週末、北海道のニセコに行ってきましたが、驚くほどの変化でした。
 ニセコという名前が世界に有名ですが、世界からスキーヤーが集まってくるのは、人口1万5000人強の倶知安、4700人のニセコ、5600人の蘭越という尻別川の流域に展開している3町が一帯となった地域です。
 とりわけ倶知安は新潟県高田、北海道旭川と並んで、オーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐が西欧式のスキーを教えたというスキー発祥の地ですから、スキーは盛んなことは勿論ですが、羊蹄山やニセコアンヌプリへの登山、尻別川でのカヌーなど、一年を通じでアウトドアスポーツが楽しめる場所です。
 これまで観光客が増えなかったのは、新千歳空港から自動車で2時間、鉄道で3時間かかるという不便な場所だったことが影響しています。私も毎年1、2回は、スキーやカヌーをするために遊びに行っていますが、往復にそれぞれ1日が必要であり、不便な場所でした。

 ところが、ここ10年ほどで様子が一変しました。
 宿泊客数は2000年代は年間130万泊程度でしたが、リーマンショックが終わった2011年頃から増えて最近では170万泊に増加し、札幌には及びませんが、北海道では第2位に成長してきました。
 東北6県の観光目的の宿泊客数が170万泊ですから、如何にニセコ一帯の人気が高いか分かると思います。
 それを支えているのが外国人観光客です。
 日本人観光客は2003年の130万泊から減少気味で、2010年頃には100万泊を切っていました。
 ところが2003年には4万泊以下で全体の2〜3%でしかなかった外国人観光客は急速に増加し、2014年には55万泊と全体の3分の1になるほど増えてきたのです。

 大きな理由は2つあります。
 1つは2001年にアメリカで発生した9・11事件の影響で、安全な日本を目指して外国人が来るようになったことです。
 もう1つは日本の冬の時期は南半球のオーストラリアが夏休みになり、パウダースノーのニセコ一帯のスキー場は絶好の目的地になったことです。
 実際、外国人の比率はオーストラリアが32%、香港が18%、シンガポールが9%となっています。

 その結果、ニセコ一帯に開発ブームが発生しました。
 ニセコ地域には主要なスキー場が5カ所ありますが、とりわけ外国人に人気のある「ひらふスキー場」には、北海道道からスキー場のリフトに乗る地点まで1kmほどの坂道があり、その両側にはホテルやコンドミニアムが並んでいますが、数十軒ある宿泊施設のうち、2軒を除いてはすべて外国資本に買収されてしまいました。
 正面に羊蹄山の勇姿を眺めることができるという条件が好まれた結果です。
 また道道の両側には個人経営のペンションが並んでいましたが、大半が外国人相手の豪華なコンドミニアムに変化しました。
 それらのホテルやコンドミニアムは国際的な評価も高く、昨年の「ワールド・スキーアワード」誌の評価で、ホテルでは「ザ・ヴェール・ニセコ」、大型ホテルでは「ヒルトン・ニセコ・ヴィレッジ」、ロッジでは「セッカカン」が世界1位になっています。
 倶知安はスイスのサンモリッツと姉妹都市になっていますが、それに近い雰囲気になってきました。

 そのような結果、昨年、国土交通省が発表した地価公示価格では、「花園スキー場」に隣接する別荘地の値段が1年で20%値上がりし、全国1位の値上がり率になりました。
 さらに一昨日発表された2016年の地価調査では、北海道全体が低下している中で、倶知安町は上昇しています。
 そして、この一帯の2004年から昨年まで12年間の不動産投資が1500億円にもなり、最近ではリゾート地帯ではない、倶知安の市街地にも次々と店舗や住宅が建設されはじめています。
 東京都庁の建設費が1500億円、六本木ヒルズ全体が2700億円という東京と比較すれば驚くような数字ではありませんが、人口規模で比較すれば、異常な数字です。

 その結果、地域に異常な事態が発生しはじめています。
 日本全体の有効求人倍率は1・3に上がってきましたが、北海道平均は1・06で、札幌でも同じ程度です。
 ところが倶知安では2・3にもなり、その影響でアルバイトの時給が1200円にもなっています。
 しかも外国からは富裕層が到来するために物価も上昇し、スキーシーズンには高級ホテルの宿泊料金が平均一泊15万円、最高は55万円にもなり、スイスのサンモリッツに匹敵する値段になっていますが、一般の日本人には遠い存在になりつつあります。
 それを象徴する逸話があります。ニセコの料理店では名物の「蟹ラーメン」が2300円ですが、日本の物価は安いと外国人の注文殺到という状態です。

 このような状況はニセコ一帯にとって現状では結構なことですが、その資産を如何に将来に継続させるかが重要な課題です。
 1982年に上越新幹線が開通し、越後湯沢駅が出来た結果、大変に不便であった湯沢にスキー愛好家を相手にしたリゾートマンションが林立しました。
 1988年に全国で建設されたマンションの3分の1が、人口8000人の地方都市に集中したのです。
 しかし、ブームが去り、かつては1000万円以上したマンションも100万円以下になっています。

 函館も1988年に青函トンネルの開通を契機に、夜景を売物にする高層マンションが20棟以上も林立するようになりました。
 その結果、住宅地の価格は平均で16%、一部では30%も上昇しました。
 宿泊施設と住居施設との違いはありますが、ニセコ一帯と同じ状況です。
 しかし、湯沢も函館も多くは投機目的で購入されたため、夜になっても明かりのつかない建物が多く、都市全体の繁栄には貢献しませんでした。
 倶知安では若い人々が観光地倶知安戦略会議を作り、長期戦略を検討し、ニセコ観光局という自治体の枠を超えた観光のエリアマネージメントの仕組みを構築しようとしていますが、一時的な流行に流されない発展戦略を推進することを期待しています。





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