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論文

 先週、人口が1人という集落に行ってきました。
 人口2万4000人の福井県勝山市の山奥にある小原集落という場所です。
 北陸本線の福井駅から、「えちぜん鉄道」という沿線の自治体が主要な株主になっている私鉄で、1時間に2本しか運行していない電車に50分乗ると、終点が勝山です。
 ここは恐竜の町として有名です。日本で発見された恐竜化石の8割が勝山市で発掘されており、福井県立恐竜博物館があるのは当然として、駅前の広場にも恐竜の模型があり、駅のベンチにも恐竜の人形が坐っているし、道路のマンホールにも恐竜の絵が描かれているほどです。
 しかも日本には正式の学名が付けられている恐竜が4種類存在しますが、そのうち3種類が勝山市で発掘された恐竜で、名前も「フクイサウルス・テトリエンシス」「フクイティタン・ニッポネンシス」「フクイラプトル・キタダニエンシス」というわけで、恐竜の元締めのような町です。

 しかし、今回は恐竜を素通りして、駅前から自動車で20分ほど山道に入って、間もなく石川県との県境という場所にある小原集落に行ってきました。
 かつては林業と養蚕で栄え、明治時代には500人ほどが生活していたそうですし、昭和30年代の写真を見ると、谷川沿いの急斜面に多数の民家が密集しており、繁栄していたことがわかります。
 ところが林業や養蚕が衰退し、若者は次々と都会に出て行き、豪雪地帯のために空家になった民家が雪の重みで潰れ、残った民家が数軒という寂しい集落になってしまいました。
 2年前までは人口2人でしたが、現在では79歳の高齢者が1人生活しておられるだけです。

 消滅都市が流行している現在ですから、間もなく完全に消滅する運命かのようですが、意外にも、この限界集落には人影が絶えないのです。
 まず標高1600m級の「赤兎山(あかうさぎやま)」や「刈安山(かりやすやま)」などへのただ1カ所の登山口にあたるため、年間、多数の登山客が通過し、道路沿いにある公衆便所が温水洗浄便座になっているほどです。
 それ以外に、国内だけではなく、海外からも、この集落を目指す来訪者があり、年間1500人にもなっていますし、民家を改造した宿泊施設に泊まる人も800人を越えています。

 このような不思議な現象が発生した理由は2人の熱心な活動を中心に多くの人が協力している効果です。
 1人は今年46歳になる国吉一實(くによしかずみ)さんです。
 子供の頃、この集落で生活していた国吉さんは名古屋市で就職していましたが、寂れていく故郷を何とか維持したいとUターンし、古民家を改造して宿泊施設を作り、エコツアーを企画し、元住民であった人々と2006年に「小原ECOプロジェクト」を立ち上げました。
 それを手助けしたのが福井工業大学の建築が専門の吉田純一教授です。
 大学の夏休みの期間に学生の実習を兼ねて、老朽化した古民家の再生を自身で始められたのです。
 まるで大工の経験がない学生が大工さんの手ほどきで何とか仕事をこなし、これまで6軒を再生し、そのうち1軒は宿泊施設として利用可能にしました。
 そこを拠点に、植林や間伐の林業体験、炭焼きや山菜採りという山村文化体験、自分で作ったカンジキで豪雪体験など、年間を通じてエコツアーを展開したところ、国内だけではなく、近くは中国、台湾、韓国など、遠くはメキシコ、イタリア、デンマークなどからも参加者があり、遊ぶだけではなく、水路の修復や石垣の補修などの活動をしています。

 このような場所は「限界集落」と言われますが、これは高知大学の教授であった大野晃(あきら)さんが1991年に提唱した概念で、人口の半数以上が65歳以上になった集落で、冠婚葬祭が集落だけでは維持できなくなった場所です。
 2006年の国土交通省の調査では全国にある6万2300程度の集落のうち、限界集落は13%の7900近くになっており、そのうち10年以内に人口がゼロになる消滅集落が423と推定されています。
 インターネットにある「廃墟検索地図」というサイトで数えてみると、すでに無人となって消滅した集落が200以上記録されており、急速に増加していると思います。

 しかし一方で、今回、御紹介した小原集落以外にも、消滅しかけた限界集落を再生している事例はいくつも出現しています。
 有名な例は「集落丸山」です。
 福知山線の「篠山口」から自動車で20分ほどの距離にある兵庫県篠山市の集落で、4世帯が生活しておられるだけの場所でした。
 地域の空家を持主から借り受け、有志が「丸山プロジェクト」を立ち上げて3棟を改修し、1日4万円程度で1棟を使えるようにし、農業体験や陶芸体験をできるようにしたところ、年間2000人以上の宿泊客が来訪し、運営が黒字になるほどの成功をしています。

 これらの成功例に共通するのは地域への愛着です。今回、小原集落を案内していただいた國吉さんは、自分の故郷を維持したいという情熱で都会からUターンして来られましたが、集落の美しい石垣、紅葉の山を見渡せる場所、わずかな面積で自家消費用の稲作をしている水田などを案内されるときに、本当に集落に誇りをもっておられる様子がひしひしと伝わってきました。
 そのように考えると、日本創成会議によって消滅都市と名指しされた大都市周辺の郊外都市のように、短期間に各地から集まってきた人々の集合体よりは、山奥の限界集落の方が再生の可能性が強いかもしれません。
 政府の地方創生政策も補助金をばらまくだけではなく、本当に地域に愛情をもつ人々を支援する活動をすれば、人口が減少しても交流人口で賑やかになる限界集落が増えていく可能性は十分あると感じました。





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