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論文

 芸術の秋も後半に入り、多くの美術展覧会が開かれていますが、日本の伝統美術の展覧会で気になることは、展示されている作品の所有者のかなりが外国人や外国美術館だということです。
 今年は江戸時代中期の京都の絵師である伊藤若冲(じゃくちゅう)が生まれて300年目ということで、同じ年に生まれた与謝蕪村とともに展覧会が開かれましたが、その若冲の作品の多くが外国の美術館や個人の所有になっています。
 若冲の作品をほぼ網羅した画集には198の作品が掲載されていますが、13作品がアメリカの美術館所蔵、18作品がアメリカのプライス夫妻の所蔵、すなわち16%はアメリカにあることになります。
 実際、2006年に東京国立博物館で「若冲と江戸絵画」という展覧会が開かれましたが、若冲の18作品だけではなく、それ以外の91作品も、すべてプライス・コレクションでした。

 今年、三菱一号館美術館で開かれていた江戸末期から明治初期にかけての絵師・河鍋暁斎の「画鬼・暁斎」という展覧会でも、82の作品のうち12作品(15%)がニューヨークのメトロポリタン美術館から拝借したものでした。
 2008年に京都国立博物館で河鍋暁斎の大規模な展覧会がひらかれましたが、ここでも135点のうち21点(16%)が外国の美術館所蔵のものでした。
 しかし、これらはまだ少ない方で、2005年に東京国立博物館で開かれた葛飾北斎の展覧会は大規模なもので495点の作品が展示されましたが、35%にあたる171作品は海外の美術館から借りたものでした。
 さらに比率が大きいのは東洲斎写楽で、1995年に東武美術館で開かれた「大写楽展」では120作品中97点で81%、2011年に東京国立博物館で開催された「写楽」という大規模な展覧会では168作品のうち54%にあたる91作品が外国の美術館の所有でした。
 写楽の版画は145種類が確認されていますが、外国にしか存在しない作品が44種類ですし、版画ですから合計して706枚が残っていますが、外国の美術館などが所有しているものが508枚で、日本にあるのは198枚(28%)でしかないので、大規模な展覧会を開こうとすれば外国から借りざるを得ないということになります。

 このような日本の誇る美術品が海外に流出した大きな原因は2種類あります。
 第一は社会の変革期に売らざるを得ない状況になったことです。
 一度は明治元年に神仏分離令が出されて廃仏毀釈運動が起こり、仏教寺院が維持できなくなり仏像や経文が海外に流出したとき、もう一度は太平洋戦争の敗戦で旧皇族や旧貴族が生活に困って土地や財産を売却したときです。
 有名な話は、明治初期の「寺領上知令」によって土地を取り上げられた奈良の興福寺は寺院の維持に困って五重塔と三重塔を売りに出しました。
 値段は諸説ありますが、現在の金額で30万円くらいで売れることになりました。ところが買った人が塔に火を付けて 金属のみを回収しようとしたので、周囲の住民が延焼を恐れて反対したために残ったと言われています。
 ちなみに五重塔も三重塔も現在では国宝に指定されています。

 伊藤若冲の最高傑作は、鳥、虫、魚、草花を精密に描いた「動植綵画(どうしょくさいえ)」ですが、これは宮内庁の所蔵になっています。
 この絵は若冲が京都の相国寺(しょうこくじ)に寄進したものですが、神仏分離令で経済的に困窮した相国寺が明治22(1889)年に明治天皇に寄進し、1万円の下賜を賜わったという経緯があります。
 このおかげで相国寺はなんとか寺領を維持できたといわれています。

 もう一つの理由は日本人が身近にありすぎる芸術の価値に気付かないことです。
 写楽は寛政6(1794)年から7年の10ヶ月間だけ彗星のごとく登場して消えた謎の絵師であったため、長らく忘れられていました。
 ところが1910年になって、ドイツの美術史家ユリウス・クルトが『SHARAKU』という本を出して、「写楽はベラスケス、ルーベンスと並ぶ世界三大肖像画家である」と評価したために、日本人も改めて価値に気付いたのですが、そのときには江戸末期から明治初期に日本に来ていた外交官や商人が自分の目で価値を見抜いて買っていたので、大正時代に気付いたときには遅過ぎたのです。

 同様に伊藤若冲、曾我蕭白(しょうはく)、長沢芦雪(ろせつ)などの絵師も、日本人は評価していなかったのですが、1968年に東京国立文化財研究所に居られた辻惟雄(のぶお)さんが美術雑誌に『奇想の系譜』という連載を書かれ、それらの画家の作品を高く評価されて話題になりはじめました。
 ところが、これも「時すでに遅し」で、プライス夫妻をはじめ外国の金持が数多く買っていった後でした。

 このような事態は過去のものかと思われるかも知れませんが、現代にも続いています。
 10月31日から六本木の森美術館で「村上隆の五百羅漢図展」が開かれています。私も見に行きましたが、長蛇の列で満員でした。
 しかし、25年ほど前、村上さんとは毎月1回ほどお目にかかっていましたが、東京芸術大学日本画科の大学院を修了して博士号まで持っているのにマンガの主人公のフィギュアを作ったりして変わった芸術家だと思っていました。
 日本の評論家も無視するどころか批判までしていたのですが、アメリカのオークションで、そのフィギュアが6000万円で売れ、雑誌「タイム」の2008年の「世界にもっとも影響力のある100人」に選ばれ、ルイ・ヴィトンの新作のデザインを任されるようになって、日本でも一気に評価されるようになったのです。
 僕も目が利かず、25年前にフィギュアを1体もらっておけば、今頃は悠々自適だったのにと悔やんでいますが、革新的なものを評価できない日本を引きずっていると反省しています。





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