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論文

 今年も日本では2人の学者がノーベル賞を受章され、科学立国を証明することになりましたが、ノーベル医学・生理学賞を受章された大村智(さとし)博士は業績とともに人間としても素晴らしい方で、清々しい気持になる受章でした。
 これまで10億人以上の人命を救う医薬品を発明されたということでは、ノーベル平和賞にも該当する功績でしたが、話題になったのは、いつも小さなビニール袋を財布の中に入れ、至る所で土を採取して新しい細菌を探しておられるとのことでした。
 そこで今日は、この細菌について考えてみたいと思います。

 46億年前に誕生した地球に最初の生命が誕生したのが40億年ほど前と推定され、さらに5億年ほど経って誕生したのが細菌です。
 人類の最初の祖先は500万年前とされていますから、人間よりも700倍も長く地球に生存している生物ということになります。
 しかし、大きさは1メートルの100万分の1程度なので、人間が細菌を肉眼で見たのは340年ほど前という最近のことです。
 オランダの科学者のアントニ・ファン・レーエンフックが直径1mm程度の小さなレンズを使った倍率約200倍の1枚レンズの顕微鏡を発明し、それで池の水を覗いたところ動く物体を発見しますが、これが人類が細菌を見た最初の瞬間で、1674年のことでした。
 ちなみにレーエンフックは日本で人気のある画家ヨハネス・フェルメールと同じデルフトの生まれで、1675年にフェルメールが亡くなったときには遺産管理人になっています。

 しかし、人間は見たこともない細菌を長年、利用してきました。
 古くからの利用分野は酒造りです。
 現在から8000年ほど前にメソポタミア地方に生活していたシュメール人がワインを作っていたと推定され、証拠として6000年ほど前の遺跡ではワインを入れた壷の口を粘土で塞ぎ、刻印をするのに使っていた大理石の棒が発見され、4000年ほど前の遺跡ではブドウを潰して果汁を搾る石臼も発見されています。
 文字による記録も存在し、6000年以上前の出来事を記録している「ギルガメシュ叙事詩」という物語にはワインの話が出てきますし、3700年前の「ハムラビ法典」にはワインの取引についての規則が書かれているそうです。
 ビールについてもメソポタミアやエジプトで5000年ほど前に作られていた記録があり、4000年前には中国でアワから作られるビールが存在し、2世紀の「後漢書」には「麦酒(ばくしゅ)」という言葉も登場しています。
 酒以外にも、チーズ、納豆、味噌、鰹節など発酵食品も細菌のおかげで出来る食品です。

 このように原理が分からないままに人類は酒や食品を作ってきましたが、その原理が分かるのは150年ほど前にフランスのルイ・パスツールが、発酵は細菌によることを発見してからです。

 もう一つの細菌の利用が、今回の大村博士の業績が象徴する医薬品です。
 世界最初の発見は1928年にアレキサンダー・フレミング博士が発見したアオカビという細菌が作り出すペニシリンですが、それ以後、ストレプトマイシン、カナマイシンなど次々に有用な物質が発見され、現在では100種類以上が医薬品として利用されています。
 しかし、そのように役立つ物質は6000種類はあると推定され、今回、大村博士が発見されたイベルメクチンや、共同受賞者の中国のユウユウ・ツ博士が発見したアーテミシニンも同様に細菌の能力を利用した医薬品です。
 しかし、1円玉と同じ重さの1グラムの土の中に細菌は10億は存在し、種類も数百万種にもなるという研究もあり、大村博士がしてこられたように、いろいろな土を調べれば、有用な細菌を発見できる可能性はいくらでもあることになります。

 さらに最近では、天然の細菌を利用するだけではなく、遺伝子操作によって利用目的に合った人工細菌を作り出す技術も登場し、効率よく医薬品やバイオ燃料としての利用が期待されると同時に、細菌兵器に応用される危惧や、いずれは人工生命を誕生させるという生命倫理問題に関わる危惧もあります。

 最近では、それほど使われない言葉になっていますが、かつては黴菌(ばいきん)という差別用語まがいの言葉もありました。
 これは人体に有害な細菌の俗称ですが、細菌より35億年も後から地球に登場した新参者が勝手な名前を付けるなというのが細菌の気持かもしれません。
 そこで細菌が如何に賢いかを証明してノーベル賞を受章した研究を紹介したいと思います。

 ただし、ノーベル賞と言ってもイグ・ノーベル賞、すなわち興味深い発見ではあるが、当面、役に立つのかどうか分からない発見に与えられる賞です。
 北海道大学の中垣俊之教授や東京工業大学の原正彦教授などの研究チームは、首都圏の形をした培地の上で、主要な都市に相当する位置に細菌の一種の粘菌の好きなエサを置き、粘菌をばらまいておくと、最初は全体に広がりますが、丸一日もすると人間が作った鉄道網や道路網とほぼ同じ経路を進んで行くという実験を成功させ、2008年度のイグ・ノーベル賞を受章されました。
 確かに面白いが役に立つのか疑問のようですが、現在、この能力を利用して、デジタルコンピュータでは計算時間がかかりすぎる巡回セールスマン問題などを効率よく計算する粘菌コンピュータが研究されています。
 人間よりも700倍もの時間を地球で過ごし、少なくとも過去4回は発生し、大半の生物が絶滅した大氷河期や6500万年前の巨大隕石の衝突などの危機を乗越えてきた細菌を侮ってはいけないということです。
 大村博士は細菌を培養する装置には御神酒をかけてお祈りをされていたそうですが、この点でも大村博士の研究精神は素晴らしいと思います。





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