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論文

 日本全体で空家が急増して社会問題になっています。
 振返ってみると、戦後は戦災で多数の家が失われ住宅不足でしたが、復興の努力によって、1968年にわずか36万戸でしたが住宅の数が世帯の数を上回りました。
 それ以後、個人や公営の住宅建設が増えるとともに人口の増加も緩やかになり、空家が増えていき、最新の調査である2013年の数字では住宅全体の13.5%に相当する813万戸が空家になっています。
 このなかには売りに出されている別荘や、普段は住んではいないけれども持主が管理している空家もありますが、放置されている住宅が318万戸もあります。
 これは老朽で倒壊したり、不審者が侵入したり、火災が発生したり、ネズミやハクビシンの住処になったりするので、地域社会にも迷惑を及ぼします。
 そこで自治体では流通可能な空家をインターネットで紹介する「空家バンク」を用意したり、保育所、オフィス、画廊などに転用したりしていますが、量的にはほんの一部に過ぎません。

 欧米の都市では空家の割合は数%なのに、日本では2桁になっているのは、鴨長明が『方丈記』の冒頭に「淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり」と書いているように、この世の住居は仮の住処と考えてきた精神が反映していると思います。
 随分前のことですが、アメリカの有名評論家を空港に迎えに行って、タクシーの中で話していたら、自分の家は200年前に建った木造住宅だと自慢していましたが、古い家に価値がある社会を象徴していました。

 住宅の空家も問題ですが、もうひとつの問題は商店の空店舗です。
 日本には商店街といわれる場所がありますが、閉店して入口のシャッターが降ろしたままになっている「シャッター通り商店街」が増えています。
 日本全体に約13000の商店街がありますが、最近では全体の4割がシャッター通り商店街になっていると推定されています。
 そして、一つの商店街あたり、いくつの商店がシャッターを降ろしているかという調査によると、2000年には平均4戸でしたが、2009年には6戸近くと5割も増えています。

 これはいくつかの原因が重なっていますが、一つは1991年の大規模小売店舗法の改正によって大型のショッピングセンターの出店規制が緩和されると同時に、自家用車の普及で多くの人が郊外に出来たショッピングセンターに出掛けるようになったことです。
 これは商店街の商店の増減を調べると明らかで、2006年から2009年の3年間で、住宅地域の周辺にある近隣商店街は平均の店舗数が54から44と10軒も減っているのに、郊外にある超広域商店街では84から90に増えており、小規模の商店街から大規模の商店街に中心が移動していることが明確です。

 これは利便性を追求する社会では仕方が無いことかもしれませんが、全国の都市の都心に自動車を使うことの出来ない高齢者が増えていることを考えると、重大な社会問題だと思います。
 最近ではコンビニエンスストアが宅配サービスを始め、過疎地域では郵便配達の人が買物を代行する例もありますが、今日は地域の若者が取組んでいる例を御紹介したいと思います。

 今年2月の放送で「まちの駅」が日本一多いという栃木県鹿沼市を紹介しましたが、その鹿沼市で新しい商店街復活の動きがあります。
 鹿沼市は江戸時代に京都の朝廷から徳川家康を御祭神とする日光東照宮に毎年、勅使が遣わされていたため、「例幣使街道」という道路が整備され、その宿場町として栄えていましたが、明治以後はそれほど発展せず、最近では人口も減少しはじめています。
 当然、中心市街地の商店街も寂しくなってきましたが、東京の大学に通っていた地元の風間さんという若者が、地元の会社に就職するために鹿沼に戻ってみると、東京の賑わいと差がありすぎることに落胆し、何とかしようと考えます。

 しかし、経験も資金も無いので、ひとまず自宅を手作りで改装し、カフェを開きますが、場所が住宅地の小道を曲がった路地の突き当たりでしたから、ほとんど客が来ません。
 仕方なく、友達を呼んでパーティーを開いたり、インターネットで宣伝したりしていたところ、次第に客が来るようになり、しかも簡単には辿り着けない喫茶店として人気になります。
 その出店の経緯を知った若者が、自分たちも開業したいと風間さんに相談して来るようになり、いきなりはリスクが大きいので、隣の古民家を借りて、毎月1回、1坪ごとに貸出してアクセサリーショップや珈琲店を開けるようにします。

 次第に勢いが出てきたので、地名の根古屋を借用して「ネコヤド大市」を毎月第一日曜に、町の中心部で開くようにしたところ、多いときには数十店の出店があり、それらの中で、15店が空店舗を利用して花屋、古着屋、パン屋などを開業するようになりました。
 さらに中心部には宿泊できる施設がないということで、廃業することになった江戸時代から続いた木造の旅館を借り、宿泊だけの旅館をすることにしました。
 そうしたら相乗効果があり、日光へ旅行に来た若い女性が鹿沼に立寄って気に入り、その旅館の女将をすることになったというエピソードもあります。

 これまでは、商店街が寂れていくと、国や自治体から助成金を貰う、コンサルタントに再生策を検討してもらう、建築家に箱物を設計してもらうなど、他人に依存するという例が多いのですが、鹿沼で始まっていることは、ほとんど補助金も貰わず、空店舗を手作りで改装し、自分たちで実行していることです。
 空家や空店舗は町の不用品ではなく、宝物になるということを知って、周囲を見回したら如何でしょうか。





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