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論文

 今週の月曜日(8月31日)、アメリカのオバマ大統領がアラスカ州を訪れたとき、北米大陸最高峰「マッキンリー」の名称を「デナリ」に変更すると発表しました。
 この山は登山家の植村直己さんが1984年に消息を断った事で日本では名前が知られている山です。
 デナリはアラスカの先住民族デナッイア族の言葉で「偉大なる存在」を意味しており、白人が進出してくるまでは、そのように呼ばれていたので、アラスカ州が40年ほど前から名称の回復を要求していたものです。
 マッキンリーという名前になったのはアラスカがゴールドラッシュであった1896年に金鉱を探しにきた白人が、翌年、第25代大統領に当選するウィリアム・マッキンリーを支援する目的で名付けたものです。

 一種のゴマスリですが、世界最高峰の「エベレスト」も似た事情があります。
 イギリスがインドを支配していた時代の1854年に、インド測量局が高さを計測した結果、8848mで世界最高ということが分かりました。
 そこでインド測量局長官アンドリュー・ウォーが前任者のサー・ジョージ・エベレストに敬意を表して名前を付けたという経緯があります。
 エベレスト前長官の名誉のために申し上げると、長官は後任のウォー長官に、すべての地形の名称は現地の呼称を採用するように申し伝えており、自分の名前が付けられることに心良く思っていなかったようです。
 ウォー長官は、現地の呼称は見つからなかったと言訳をしていますが、古代からインドで使われていたサンスクリット語で「デーヴギリ(神聖な山)」と呼ばれていましたし、チベット民族は「チョモランマ(大地の母なる神)」、ネパール語では「サガルマータ(世界の頂上)」と呼ばれていましたから、やはりゴマスリではなかったかと思われます。

 同じような例が、やはりイギリスが支配していたオーストラリアにあります。
 オーストラリア大陸の中央に世界で2番目に大きい1枚岩(モノリス)があり、以前は「エアーズ・ロック」と呼ばれていました。
 この由来は、1873年にオーストラリア大陸内部を探険していたイギリス人のウィリアム・クリスティ・ゴスが発見して頂上まで登り、その探険を支援してくれたサウス・オーストラリア植民地総督のヘンリー・エアーズ卿にゴマをすって「エアーズ様の岩=エアーズ・ロック」と名付けたのが由来です。
 ところが、この砂漠地帯には1万年以上前から、先住民族アボリジニが生活しており、「ウルル(聖なる岩)」と呼んでおり、先住民族の復権とともに、次第にウルルと呼ばれるようになっています。
 ウルルの所有権はアボリジニにあり、聖地としているので、祭司以外は登ることを禁止してきましたし、岩の足元に描かれている岩絵なども撮影禁止としてきました。
 私もテレビジョン番組の撮影でウルルに行きましたが、遠方から撮影するときも政府の監督官がファインダーを覗いて、撮影禁止の対象が写らないかを確認するほど厳しく制限していました。
 ところが現在、先住民族でさえ神聖として登らないウルルに観光客が登っていますし、前半の45度以上の急勾配の斜面では、かつて転落死事故が発生したこともあり、滑り落ちないように杭を打って鎖さえ張ってあります。
 アボリジニとしては不愉快なのですが、オーストラリア政府が観光のため、アボリジニに、2000円ほどの登山料の一部を支払うなどの経済支援と引き換えに許可しているため我慢しているという状況です。

 近代になって植民地などになった地域には、先住民族に関係する地名が数多く残っており、アメリカの「アイオワ州」はアイオワ族、「イリノイ州」はイリニ族、「マサチュセッツ州」はマサチュセッツ族が住んでいたためなど数多くの例があります。
 日本でも北海道から東北地方には先住民族アイヌの地名が残っています。
 アイヌ民族は文字を持たなかったので、正確には分かりませんが、江戸末期から明治にかけて調査が行なわれ、かなりのことが分かっています。
 有名な例としては、知床は「シル・エトク」で「地の涯」で半島の先端、小樽は「オタル・ナイ」で「川が砂に溶ける」で川が河口で砂浜に流れ込む場所、「礼文」は「レブン・シリ」で「沖に出ている島」、「留萌」は「ルル・モ・ペ」で潮が静かに満ちてくる川、などがあります。
 これらで分かるように、先住民族の付けた名前のほとんどは地形の特徴を示したものでした。
 したがって「札幌」が「サツポロペツ」で、乾く大きな川という意味であることを知れば、豊平川もかつては谷間から扇状地に出て広がり、乾期には広い河原があった場所ということも分かり、防災計画にも参考になります。

 ところが明治、昭和、平成の三回の市町村大合併で、そのような歴史を反映した名前が消えていってしまいました。
 例えば、山梨県北杜市(ほくとし)は平成の大合併で8町村が一体となったのですが、八ヶ岳市、甲斐駒ケ岳市などの名前が町村間の駆引きで決まらず、杜(もり)は植物のヤマナシを意味するので、その北部にあるという、かなり苦しい名前で決着したというわけです。

 群馬県「みどり市」も平成の大合併で、笠懸町(かさかけまち)、大間々町(おおまままち)、東村(あづまむら)が合併したのですが、緑があふれる都市にしたいという希望で「みどり市」になったという経緯です。
 このような、目出たい意味の言葉を使って創作された地名を「瑞祥(ずいしょう)地名」というそうですが、合意を得るためにやむを得ないという事情があるにせよ、味気ない感じもします。
 そのような意味では、今回のデナリのように先住民族の名前を復活させることは、先住民族の復権という世界の事情を反映する意味とともに、地名の本来の役割を示す快挙だと思います。





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