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論文

 今週の月曜日(5月4日)にユネスコの国際記念物遺跡会議(イコモス)という世界遺産を審査する組織から「明治日本の産業革命遺跡」を世界文化遺産に登録するようにという勧告があったと政府が発表しました。
 そこで日本政府が申請すれば、6月末から7月初めにドイツのボンで開かれる世界遺産委員会で正式に登録されることになります。
 これで一昨年の「富士山」と昨年の「富岡製糸場」に続いて3年連続で日本に世界文化遺産が誕生し、自然遺産と合計すると日本の世界遺産の数は19になり、ブラジル、オーストラリアと並んで世界11位になります。
 今回は岩手県から鹿児島県まで8県にまたがる23の遺跡が一体として登録されたのですが、これは世界遺産の方向転換を反映しています。
 1972年に世界遺産の制度が成立したのは、エジプトがナイル川を堰止めてアスワンハイダムを建設することによって上流にあるアブシンベル神殿が水没することが出発点です。
 このときは国際的な救援活動によって石造の建物や石像の一部を分割して高台に移すことによって解決しましたが、今後、世界各地で開発が進むことによって失われていく遺跡や自然環境を保存するために制度が作られました。

 当初、世界文化遺産は古代から中世、近世が中心で、日本では法隆寺、姫路城、京都、奈良、日光などが登録されてきましたが、およそ20年が経過した1994年に方針が転換し、近代の産業遺産を重視することになりました。
 その結果、日本でも石見銀山や富岡製糸場が登録されるようになったのですが、今回もその路線で選ばれることになったのです。

 今回も地域の関係者の何年にもわたる活動や政府の努力で登録されそうですから、それは結構ですが、問題があります。
 今回の23施設の地元の方々の感想を新聞などで拝見すると、「知名度が上がり、観光客も増えるだろう」「被災地を訪れる人が増えれば復興への追風になる」「地域活性化に役立てよう」などの意見があり、人々が観光に訪れ、地方創生に貢献するという期待が表れています。

 そのようになれば結構ですが、意外な結果になっている世界遺産が数多く存在するのです。
 世界遺産に登録された年の観光客数を100として、その後、どのように観光客数が変化したかを計算してみました。
 日本で最初の世界文化遺産は1993年に登録された法隆寺と姫路城です。
 法隆寺は、その93年を100として、それ以後、96、89、86、77、70、67、63、67、60と減り、9年で6割に減っています。
 姫路城も翌年から、97、69、84、70、77、70、65、70、71と9年で7割に減っています。
 1996年に登録された厳島神社は翌年こそ113と増加しましたが、以後は92、82、79、79、83、83、87と8割前後で推移しています。 
 2007年に登録された石見銀山は翌年こそ114と増えましたが、以後は76、70、69、60、72と減少傾向です。  

 世界自然遺産も同様で、1993年に日本で最初に登録された屋久島は翌年こそ114に増えましたが、以後86、88、90、92、87、91、90と1割減です。
 2005年に登録された知床半島は翌年から98、75、78、73、73、68と減少です。
 1993年に登録された白神山地は広大な地域に、いくつもの登山口があるので、初期には正確な入山者数が分かりませんでしたが、2004年に自動計測装置が設置されてからの数字を見ると、2004年の8万1400人から次第に減少し、2013年には2万8600人で3分の1に減っています。
 富士山は世界文化遺産ですが、登山客を調べると、登録から1年目の昨年は92%に減少しています。

 すべてが減少している訳ではなく、1995年に登録された白川郷は翌年から一気に増加し、132、139、136と増え、7年目には200と2倍になっています。
 それほど劇的ではありませんが、98年に登録された奈良は101、102、105、107と着実に増えています。
 また1999年に登録された日光も翌年は114で、以後も100を越えていますし、2000年に登録された琉球王国は120前後を維持しています。

 広い地域の観光客数を数えることは簡単ではありませんから、同じ世界遺産についてもいくつかの数字があり、正確ではありませんが、要約してみれば、世界遺産に登録されたからといって、「知名度が上がり、観光客が増えるだろう」という期待が必ず実現するわけではないということです。

 推定される理由の第一は世界遺産になると旅行会社がツアー旅行を企画するので一時的に増えますが、次の世界遺産が登場すると、そちらに切替えてしまうので、ツアー旅行が減ってしまうこと。
 観光業界で「世界遺産効果は2年程度」といわれる由縁です。
 第二は観光の世界も高齢社会になっていますから、白神山地や紀伊山地のように険しい山道を登るような観光地は敬遠されがちということ。
 その結果、こうしく道路ができて道路事情が良くなり、自動車で乗り付けられるような白川郷や奈良のような場所は時間が経っても観光客が訪れています。
 第三は、日光や奈良、富岡製糸場のように関東や関西の大都市圏から便利な場所は一定の増加を維持できることなどです。
 今回の勧告の後、地域で努力してこられた方々は「日本の近代化を担った文化的価値が世界に認められてうれしい」「昔の人が守ってきたものを見直し、地元に誇りを取り戻す」「地域の誇りを再認識し訪れる人に伝えたい」と言っておられます。
 これこそ世界遺産が創られた精神なので、捕らぬタヌキの皮算用ではなく、この精神で遺産を後世に伝承されることを期待したいと思います。





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