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論文

 今日は「エスペラントの日」になっています。
 1906年6月12日に日本エスペラント協会が設立されたことを記念して制定されたものです。
 エスペラント語はご存知の方も多いと思いますが、ポーランド生まれの眼科医であったラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフが19世紀末に様々な言葉を話す人々が相互に意思疎通できるために共通の言葉を作ろうという目的で発明した人工的な言葉です。
 その背景は『旧約聖書』「創世記」のバベルの塔の物語まで遡ります。
 かつて世界中の人々は同じ言葉を話していたのですが、そのために知識が急速に蓄積され、ついに天にまで届く高い塔を建設しはじめます。
 それを見た創造主エホバは、人間が同じ言葉を話すために、このような傲慢な行動をすると憂慮し、言葉を混乱させて意思疎通出来ないようにし、結果として、バベルの塔の建設は中止され、人々は違う言葉を使いながら世界各地に分散し、現在の状態になったという物語です。

 その神話が正しいかどうかはともかく、現在の世界には数人しか話す人が居ない言葉も含めて6000以上の言語が存在すると推定され、世界の人々が意思疎通をするのが困難な状況になっています。
 そのためにエスペラント語のように、もう一度、同じ言葉を話すようにしようという運動が、これまで何度も登場してくることになります。
 例えば戦前には「ソルレソル」(1817)、「イド」(1907)、「ノヴィアル」(1928)などが登場していますし、戦後でも「ログラン」(1955)、「ボアボム」(1962)、「ロジバン」(1987)、「地球語(アース・ランゲージ)」(1988)、「アンゴス」(2011)などが発表されています。
 ちなみにスピルバーグ監督の『未知との遭遇』で宇宙人と交信するときの「レミドドソ」という音は「ソルレソル」を使用したものです。

 エスペラントという意味は「希望する人」という意味ですが、これらの言葉は希望するようには普及せず、もっとも成功しているエスペラント語でも、相互に意思疎通できる程度に習得している人数は世界の人口の0.02%の160万人と推測されている程度です。

 そこで次に登場するのが、実際に使われている、似たような言葉のなかからひとつの言葉を選んで、それを共通の言葉にしようという方法です。
 一例は日本の標準語です。江戸時代には300くらいの藩による分権統治であったため、各地で方言が使われていました。
 しかし明治維新によって統一国家が成立し、言葉も統一しようということになり、1900年頃から検討が始まり、東京の山の手で話されている言葉を標準語にすることになり、小学校で国定教科書によって標準語を教えるとともに、1925年から始まったラジオ放送を利用して普及が図られました。
 そのおかげで、日本国内はどこでも同じ言葉が通用するようになり、便利にはなりました。

 これは国内の言葉を共通にする考えですが、国際的にも同じような状態にするため、日本の国語自体を外国語にしようという考えの人も登場します。
 まず日本の初代文部大臣となる森有礼(もりありのり)は、明治維新以前にイギリスとアメリカに留学し、さらに明治政府では外交官としてアメリカに赴任した経験もあり、1872年に「国語英語化論」を英語で発表します。
 その論文では日本以外では通用しない日本語を廃止して、西欧の科学や芸術を学ぶためには英語を国語にすべきであると書かれています。
 また作家の志賀直哉は戦後間もない1946年に「世界中で一番いい言葉、一番美しい言葉であるフランス語を国語にするべき」という論文を書いています。

 文字についても同様の意見は多く、明治時代に郵便制度を作った前島密は15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)に「漢字御廃止之儀」を提案し、すべて仮名にするという意見を表明していますし、土佐の南部義壽(よしかず)は、すでに明治2年に日本の文字をローマ字にする意見を発表しています。
 第二次世界大戦の敗戦から3ヶ月が経過した1945年11月には読売報知新聞が社説で「漢字が国民の知能発達を疎外しているからローマ字にするべきである」という意見を表明していますし、1946年に設立された国語審議会の「漢字に関する主査委員会」の委員長であった作家山本有三はローマ字論者でしたし、やはり歌人で国語学者でもあった土岐善麿(ぜんまろ)は「ローマ字運動本部」を組織して委員長となり、ローマ字推進運動をします、
 さらに大正15年に創設された「日本ローマ字会」の会長でもあった文化人類学者梅棹忠夫も1990年代に「日本語の表記をローマ字にしないと21世紀の半ばには日本文明は滅亡する」とまで言っています。

 これらに共通しているのは、明治維新、第二次世界大戦の敗戦、バブル経済の崩壊など、日本が危機に直面すると、いつも言葉を変えろという意見が登場することです。
 最近も文部科学省で小学校から英語を教育するという政策が進められていますが、やはり失われた20年という自信喪失を反映しているのではないかと思います。
 ところが、森有礼が1872年に国語英語化論を発表する前に、アメリカのイェール大学の著名な言語学者ウィリアム・ドワイト・ホイットニーに手紙で意見を求めると、賛成してくれるとばかり思っていたホイットニーが民族文化の継承が出来なくなると否定的な意見を返信し森有礼をたしなめています。

 大和言葉の「あでやか」「たおやか」「うるわし」などは英語で表現しにくいように、言葉は気候や風土を反映した文化を表現する手段ですから、異なる気候や風土を背景にした外国の言葉を使うということは、ホイットニーが140年前に森有礼に警告したように、日本独自の文化を失うことになります。
 小学校から英語を勉強して流暢に話すことが出来ても、伝える内容が価値のあるものでなければ、努力して言葉が話せる用になっても意味はありません。
 いまやビッグデータ時代で、グーグルなどは標準語の翻訳どころか方言の自動翻訳まで手掛ける時代です。
 また漢字を覚えるのに無駄な時間を使うからローマ字にしろという意見もワードプロセッサの発明により成立しなくなりました。
 外国の言葉を習得するのに多くの時間を使うよりも、話す内容を勉強することに時間を使うことが重要だと思います。





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