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論文

 今週の土曜日5日には「三陸鉄道南リアス線」が全線で運転を再開し、翌日の日曜日6日には「三陸鉄道北リアス線」が全線で運転を再開します。
 どこかで聞き覚えのある鉄道と思われるかも知れませんが、昨年のNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』に後者は「北三陸鉄道リアス線」、前者は「南三陸鉄道リアス線」という名前で登場した鉄道です。
 『あまちゃん』が三陸海岸を舞台にしたのは、2011年の東日本大震災からの復興を支援するという背景もあったようですが、この三陸鉄道自体が津波に深い関係があります。

 明治時代以前、青森は陸奥国(むつのくに)、岩手は陸中国(りくちゅうのくに)、宮城は陸前国(りくぜんのくに)でしたので、この三地域を一帯として「三陸」と呼ぶのですが、その三陸の太平洋岸は何度も津波が襲来し、平安時代の貞観地震のときも、江戸時代の慶長三陸地震のときも、明治時代の明治三陸地震のときも、多数の人々が犠牲になっています。
 三陸地方はリアス式地形のため、集落が入江ごとに孤立しており、1896年の明治三陸津波のときにはそれぞれの集落が陸の孤島になってしまい、支援物資が十分に運搬できませんでした。

 ところがたまたま、その4年前の1892年に国が建設すべき鉄道路線を定める「鉄道敷設法」が公布されていたこともあり、三陸地域の復興策として「三陸鉄道株式会社創立申請書」が作成されたことが三陸鉄道の出発でした。
 すぐには実現しませんでしたが、1922年に鉄道敷設法が改正され、そこに「岩手県久慈より小本(おもと)を経て宮古に到る鉄道」を敷設することが決まりました。これが三陸鉄道北リアス線です。
 しかし、実際に敷設されたのは50年近く経った1970年代で、宮古と田老の区間が国鉄宮古線として、南側の盛(さかり)と釜石の区間が国鉄盛線として、久慈から普代までが国鉄久慈線として部分的に開通しました。
 途中の区間も工事が始まっていたのですが、不幸なことに、1980年に国鉄再建法が登場し、建設されていなかった普代と田老の区間の工事が中止、さらに翌年、宮古線も久慈線も盛線も廃止になることが決まってしまいます。
 そこで岩手県が中心となって第三セクター「三陸鉄道株式会社」を設立して引き継ぎ、残りの部分を完成させ、1984年に久慈と宮古の71kmの三陸鉄道北リアス線と、盛と釜石の37kmの三陸鉄道南リアス線が完成し、戦前に国鉄山田線として実現していた宮古と釜石の区間を含め、悲願の三陸縦貫鉄道が88年かけて開通したのです。

 波瀾万丈の鉄道ですが、さらなる大波乱は2011年の東日本大震災の津波で線路が寸断されてしまったことです。
 しかし、大変な努力で、津波から5日後には一部の区間は営業を開始しましたが、鉄橋が流れてしまった個所などは復旧に時間がかかり、3年以上経過した2日後と3日後に、ようやく開通することになったという次第です。

 しかし、全国の地方鉄道に共通ですが、経営は大変です。
 大震災の前は90万人であった年間の旅客数が震災後は39万人、収入も3億4000万円から1億6000万円と、いずれも50%以上も減っており、経常赤字が年間1億4000万円という状態です。
 しかし、学生の通学や過疎地域の高齢者の移動手段として、簡単に廃止することもできず、岩手県や関係する市町村が毎年2億円近い支援をして維持しているのが現状です。
 会社も震災の翌年には団体旅行を対象に貸し切りの「震災学習列車」を走らせたり、カラオケ大会を開くことのできる貸し切りの「三陸歌声列車」を運行したり努力しています。
 また今回の開通に当たってはクウェートの資金援助でレトロ調の新型車両を導入し、以前からも走っていた「お座敷列車」に『あまちゃん』の衣装の販売員が登場するなどの企画もあります。
 それらの努力により観光客が増えるなどの経済効果は14億円と見積もられており、地域にとっては無視できない規模です。

 私は三陸海岸で毎年のようにカヤックをしていましたので、何度も乗車していますが、リアス式海岸の高台を走るので、眺めは素晴らしいし、2時間4万円(新型車両は5万2000円)で車両1両を貸し切ることもできますので、震災復興の支援を兼ねて社員旅行などに使われるのも良いかと思います。

 ところで日本の鉄道は1980年代から路線延長も旅客数も頭打ちになっていますが、最近になって鉄道が人気になり、いま御紹介した三陸鉄道の貸し切り列車も半年先まで予約で一杯になっているそうですし、JR九州の「ななつぼし」にも希望が殺到しています。
 また長野新幹線の開通とともに廃線になった信越線の横川と軽井沢の区間を復活しようという動きや、宇都宮市、静岡市、福岡市などでは新型の路面電車を導入しようという計画も検討されています。

 外国でも鉄道復活の動きは活発で、自動車王国アメリカでは2009年に「アメリカ高速鉄道構想」が策定されて、全米各地に11の高速鉄道を建設する計画が発表されています。
 実際に都市部では鉄道利用者が増加し、ワシントンとニューヨーク間では2000年には鉄道利用者と航空機利用者が4対6でしたが、2010年には6対4に逆転、ニューヨークとボストン間でも2対8から5対5に変化しています。
 古い鉄道の復活も始まっており、例えばニューヨーク州の北部のアディロンダックで廃線になっていた50kmほどの鉄道を貨物輸送のために復活させる工事がおこなわれています。

 中国も2020年までに高速鉄道を1万6000km建設する計画を発表し、新型の路面電車(LRT)の計画も4000kmに及び、2020年までには2000kmが実現する予定です。
 参考までに日本の新幹線の総延長は2600km、路面電車も240kmですから、アメリカや中国が鉄道を真剣に検討していることが分かります。

 鉄道復権の主要な理由は環境問題、資源問題、渋滞問題です。
 1人1kmを輸送するときの二酸化炭素排出量は、鉄道を1とすると、自動車は8倍以上ですし、貨物についても5倍以上です。
 しかし、このような物理的理由だけではなく、そこに鉄路があり、定時に列車が通るという安心感という精神的理由もあると思います。
 さらに高齢化と過疎化が確実に進んでいく日本の地方にとっても必須の移動手段になっていく可能性もあり、その意味でも三陸鉄道が発展することを期待したいと思います。





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