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論文

 札幌市郊外にある北海道立の「北海道開拓記念館」が来月4日から休館になり、1年半後の2015年春に再開することになりました。
 老朽化した設備を改修すると同時に、展示内容を大幅に刷新し、名前も「北海道博物館」に変更される予定です。
 改修はともかく、なぜ名称まで変更するのかについては、時間を遡っていくと理解できると思います。
 まず昨年6月に、内閣官房長官のもとに置かれた「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が、北海道白老町にアイヌ文化復興などの拠点となる「民族共生の象徴となる空間」を建設することを提言しています。
 この懇談会が設置されたのは2008年7月1日ですが、その年の6月6日に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆議院と参議院とも全会一致で採択されたことが背景にあります。
 その結果、第34回主要国首脳会議(G8サミット)が1週間後の7月7日から9日に北海道洞爺湖で開催されることにもなり、世界の多くの国々の報道機関がアイヌ文化を取材し、また7月1日から4日には札幌で「先住民族サミット」も開催されました。

 さらに遡ると、この決議は、前年の2007年9月13日にニューヨークの国際連合本部で開催された第61期国際連合総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことを反映したものです。
 このときの投票では、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカが反対、11カ国が棄権、143カ国が賛成しましたが、日本は賛成票を投じています。
 つまり、日本は先住民族の権利を認める国になる必要があり、そこで2008年にアイヌ民族を先住民族として正式に認め、G8サミットもアイヌ民族の生活している土地で開催したという流れになります。
 そのため北海道にアイヌ民族が生活していたことを無視するような「開拓」という言葉を変更することが適切ということになったわけです。

 このような流れは世界各国で発生しており、カナダでは1970年代から先住民族イヌイットとカナダ政府との間で議論がはじまり、1999年4月1日にイヌイットの自治を大幅に認める「ヌナブト準州」が誕生しています。
 オーストラリアでは2000年のシドニー・オリンピック大会で先住民族アボリジニの陸上選手キャシー・フリーマンが聖火を点灯して、先住民族に敬意を示す動きが始まっていましたが、国際連合宣言が採択された翌年の2008年2月13日に、ケビン・ラッド首相が下院議会で先住民族アボリジニへの過去の行為について正式の謝罪を表明しています。
 実は日本でも、アイヌ民族出身の最初の国会議員の萱野茂さんなどの努力によって、1997年に通称「アイヌ文化振興法」が成立し、明治32(1899)年に制定された「北海道旧土人保護法」などの差別的な法律が廃止になった歴史があります。

 このような政治的や社会的な視点から先住民族が見直されると同時に、文化的な視点からも先住民族の伝統や社会が見直されるようになってきました。
 現在、鉱物資源の涸渇、自然環境の悪化、経済格差の拡大などの問題が世界規模で発生していますが、その重要な原因は西欧先進諸国といわれる国々の政治制度や経済構造にあるという意見があります。
 一例として、社会は時間とともに理想の状態に接近するという進歩史観と名付けられた思想がありますが、それを根拠にすれば先住民族は遅れているということになり、軽視されることになっていました。

 しかし、それが正しいとは言えない事例はいくらでもあります。
 例えば、アメリカの生態学者ギャレット・ハーディンが1968年に唱えた「共有地(コモンズ)の悲劇」という考え方があります。
 ある地域の牧場に私有地と、だれもが利用してよい共有地があると、どの農家も共有地に自分の家畜を放牧するから、共有地は最初に荒廃してしまうという理論です。
 これは、それぞれが自分の利益を最大にしようと考える資本主義では妥当な理論ですが、私有地を持たない制度を維持してきた先住民族の社会にはあてはまりません。
 モンゴルは第二次世界大戦後、北はモンゴル国、南は中華人民共和国モンゴル自治区に分割されました。
 南は私有を認めたために草原は短期間で砂漠になったのに対し、北は共有地のままですが、乾燥地帯にも関わらず草原が現在まで維持されてきました。
 自分の利益だけではなく、全体の利益や長期的な利益を考えているからです。

 先週、アイヌ民族の生活を取材するために阿寒湖畔に生活するアイヌの人々を訪ねたのですが、キノコ採りに同行したときに共有地でも荒廃しない実例を体験しました。
 森の中はだれでも山菜やキノコを採集していい場所ですが、同行したアイヌの人はキノコを発見しても、大きなものだけ採集して、小さなものは採集しないし、根こそぎにしないようにしていました。
 根こそぎ採ることを戒める伝説もあり、共有地の悲劇が起きないような生活が現在も維持されているのです。

 このように一つの原理だけで社会が突き進んでいくと問題を解決できないということから、多様な原理が共存している社会を維持することが重要だと考えられ、様々な文化が対等に共存する状態を示す多文化主義という考え方が重視されるようになってきたのです。
 先住民族問題の発端となったコロンブスのアメリカ大陸発見から500年経過した20世紀の最後の時期から、先住民族の権利が見直されはじめたのは、このような背景からで、日本でもアイヌ文化だけではなく、明治以前に各地に存在した言葉や食事や習慣など伝統文化を古いものとしてではなく、これからの社会の重要な資産として見直すことが重要な時代になってきたと思います。

 そのような視点から世界各地の先住民族の文化の意義を紹介するテレビジョン番組「地球千年紀行:先住民族の叡智に学ぶ」が10月27日と11月17日の午後5時からBS−TBSで、森本毅郎さんの語りも入って放送されますので、御覧いただければ幸いです。





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