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論文

 最近、いくつかの運河の構想が話題になっていますので、その最新状況を御紹介したいと思います。
 飛行機が登場する以前は海を越える移動は船以外に手段がありませんでしたので、いかに距離を短縮し安全に航海できる航路を探すかが重要でした。
 そのため、古代から地峡といわれる陸地の狭まった部分に人工的な水路、すなわち運河を掘削するという構想が各地で登場しています。
 紅海と地中海を結ぶ現在のスエズ運河は1869年にフランス人のフェルディナン・ド・レセップスが建設に成功したものですが、すでに紀元前2世紀の古代エジプト時代にも部分的に実現していました。
 またギリシャのペロポネソス半島の付根にあるコリントス地峡は幅が6kmほどしかないので、古代ギリシャ時代から何度か運河を掘る計画がありましたが、難工事のため実現せず放棄されていました。
 しかし、スエズ運河が完成したことに刺激を受け、1893年に幅25mほどの運河が完成し、現在でも観光船が通行しています。

 そのような中で最近、話題になっているのが、まずパナマ運河の拡幅です。
 北米大陸と南米大陸を連絡しているパナマ地峡に運河を開通させようという構想は、スペイン人が新大陸を発見した16世紀前半から登場していましたが、当時の技術力では無理だということで実現しませんでした。
 しかし、19世紀中頃にアメリカの西部でゴールドラッシュが発生し、東海岸から西海岸に大量の人や物を安価に輸送することのできる手段として、パナマ運河が注目されるようになり、当初はレセップスが着手しますが、熱病の流行や資金の不足で挫折し、代わってアメリカ政府が建設し、1914年に完成させました。
 これは大西洋から太平洋への航路を8000kmも短縮し、しかも世界でもっとも危険な海である南米大陸の南端のホーン岬を通過しなくても良いということで、大変な貢献をしました。

 パナマ運河は船を途中にある海抜26mの湖まで引き上げるため閘門が設けられていますが、この幅や長さの制限で、6万5000トン程度以下の船しか通行できません。
 しかし、最近では50万トンを超えるタンカーや20万トンを超える客船が次々と登場し、通行できない船が増えてきました。
 そこで2007年からパナマ運河完成100周年を目指して拡張工事が始まり、2015年に開通すると、17万トン規模の船までが通行できるようになります。
 ところが、最近になって、このパナマ運河にニカラグア運河という強敵が現れました。
 パナマの西隣はコスタリカで、その北側にニカラグアという国があります。
 日本の面積の3分の1、人口は600万人の国ですが、ここにパナマ運河と同様の大西洋と太平洋を結ぶ運河を建設する構想が登場したのです。

 これは因縁のある話で、19世紀の終わり頃には、アメリカ議会でニカラグア運河とパナマ運河と2案が検討されていました。
 ところが、ニカラグア運河が通過する地域の付近に「モモトンボ山」という活火山が存在し、水蒸気や火山灰を噴出していました。
 そこでパナマ運河を推進する勢力がニカラグア運河は危険だと吹聴し、結局、パナマ運河が実現したという次第です。
 したがってニカラグア運河の建設は100年以上、国民の悲願でした。
 しかしニカラグアは地政学上、重要な位置にあるため、アメリカが様々に干渉し、安定した政権が誕生せず、運河構想を打上げることができなかったのですが、2011年にオルテガ政権が2期目となり、人気取りもあって構想を打ち出したのです。

 そのため今年6月、オルテガ政権は中国政府と関係の深い香港の企業「HKニカラグア運河建設投資」と契約し、運河の計画、資金の調達、工事の実施、運河の運営の権限を50年間与えることになりました。
 しかし、これは実現するかどうか疑問とされる点が数多くあります。
 航路は琵琶湖の12倍もの面積を持つニカラグア湖を80kmは通るのですが、その部分を差引いても運河を掘削する距離が200km以上あり、80kmのパナマ運河の2.5倍近くになります。
 また、パナマ運河は海抜26mが最高地点ですが、ニカラグア運河は最高地点が海抜60mになるので、閘門が圧力に耐えられるか、その閘門に満たす水が十分に確保できるかという問題もあります。
 さらに通過する地域は熱帯雨林の自然保護地区であり、すでに環境保護団体が反対しはじめております。
 最大の問題は権利を得た香港の会社が運河の事業の経験がまったくなく、中国政府の後押しがあったとしても4兆円にもなる事業資金が調達できるかも疑問視されています。
 しかし、2024年頃に順調に完成すれば、25万トン規模の船も通行できるので、世界の海上輸送の4%がニカラグア運河を通過すると予測され、運河の通行料収入はニカラグア経済を発展させることが期待されます。

 もう一つ注目されているのが、マレー半島の途中にある幅100kmのクラ地峡を横断する運河です。
 これも17世紀から構想は何度も浮上していましたし、大正時代には菅原通斎さんが動いて、設計も済んで、資金集めにかかりましたが、関東大震災が発生して立ち消えになりました。
 また、1973年にはアメリカ、フランス、日本、タイが原子爆弾を使用して掘削しようという計画を発表して話題になった構想です。
 さらに、マレー半島の中央で東西が連絡されてしまうと、先端のシンガポールの役割が低落してしまうので、いつもシンガポールが反対し、実現しませんでした。
 しかし、マレー半島の西側のマラッカ海峡は狭くて浅いため、大型タンカーなどにとっては航海の難所であるとともに、海賊も頻繁に出没するということで、最近になり注目されてきました。
 この構想にも、ニカラグア運河と同様、インド洋への進出が容易になるという中国政府の思惑があると言われていますが、中国の深慮遠謀は恐るべしというところです。
 このような計画に対して、日本は航海の距離が短縮して経済的利益があるということばかり話題にしますが、地政学的な視点で世界を見ることも必要だと思います。





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