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論文

 今日は「ロゼッタストーン」が発見された日です。
 パリにあるルーブル美術館で入館者に最も人気がある展示物はレオナルド・ダヴィンチの描いた「モナリザ」ですが、ロンドンにある大英博物館で最も人気があるのが今日ご紹介する「ロゼッタストーン」です。
 古代エジプトでは絵文字の一種ヒエログリフという文字が使われていました。
 エジプトに行くと、カヤツリグサの一種の茎から作ったパピルスという紙にフクロウ、ワシ、コブラ、ヘビ、ウシなどを記号化した文字を描いた土産品を販売していますが、その文字がヒエログリフという古代文字です。
 オベリスクや神殿の内部の壁に刻まれていたのですが、長年、解読できませんでした。
 その解読のきっかけを与えたのが「ロゼッタストーン」という縦114センチメートル、横72センチメートル、厚さ28センチメートルで、重さが760キログラムある石片です。

 1799年に発見されたのですが、それを発見したのはナポレオンが指揮するフランスの軍隊でした。
 ナポレオンは生涯、戦争ばかりをしていたような印象ですが、学術に興味があり、前年の1798年からナポレオンが指揮官として戦ったエジプト遠征(エジプト・シリア戦役)では約4万人の兵士とともに、167人の科学者や技術者からなる学術調査団を同行させていました。
 彼らはルクソールにあるカルナック神殿を調査し、ギザの三大ピラミッドの前で、ほとんど埋もれていたスフィンクスを掘り出した以外に、スエズ運河の可能性の調査などもして、カイロにはエジプト研究所まで設立していました。
 その軍隊の一部が地中海に面したラシードの郊外で3種類の文字を刻んだ石碑の一部を1799年に発見しました。ラシードはヨーロッパではロゼッタと呼ばれていたので、ロゼッタストーンと名付けたのです。

 ここには上段に神聖文字と訳される「ヒエログリフ」、中段に民衆文字と訳される「デモティック」、下段にギリシャ文字が刻まれていました。
 多分、3種類の文字とも同じ内容だろうと推測され、ギリシャ文字は現在でも使われていますので、対比させればヒエログリフも簡単に解読できると考えられ、多くの言語学者が競争で挑戦しましたが、なかなか解読できませんでした。
 そこに登場したのがフランスの天才言語学者ジャン・フランソワ・シャンポリオンでした。
 シャンポリオンは1790年にフランスの地方都市に生まれた語学の天才で、9歳の時にラテン語を話すことができ、高等学校で多くの古代語を勉強し、20歳になった時にはギリシャ語、ヘブライ語、サンスクリット語、アラビア語、ペルシャ語、中国語など12ヶ国語を習得していたと言われています。
 1809年の19歳の時にグルノーブル大学の歴史学助教授となり、ヒエログリフに興味を持って解読に熱中し、32歳になった1822年にヒエログリフの解読結果をパリ学士院で発表しました。

 このロゼッタストーンはフランス軍が発見したのにもかかわらず、なぜ大英博物館の目玉展示品になっているかを不思議に思われるかと思いますが、発見から2年後の1801年にイギリス軍がエジプトに上陸してフランス軍を降伏させた結果、戦利品としてイギリスの所有となり、早速、翌年の1802年から大英博物館で展示されるようになったのです。
 ただし、1972年にはシャンポリオンが解読した150周年記念として、1ヶ月間だけルーブル美術館に貸し出されたことがあります。
 しかし、21世紀になり、かつて略奪された文化財を元々あった場所に返還しろという要求が世界各国で発生しはじめ、ロゼッタストーンについても2003年にエジプト政府がイギリスに返還を要求しており、交渉が続いています。

 ヒエログリフのように幸運にも解読された古代の文字や言語は、それ以外にもいくつかあります。
 1900年にイギリスの考古学者アーサー・エヴァンスが地中海のクレタ島にあるクノッソス宮殿を発掘した時に、多数の粘土板を発見しました。
 そこには三種類の文字が記されていましたが、多数の人々が解読に挑戦し、線文字Bと名付けられた文字はイギリスの建築家マイケル・ヴェントリスが1952年に解読していますが他の二種類は現在でも解読されないままです。

 日本の学者が解読に成功した文字もあります。
 11世紀から12世紀にかけて現在の中国の北西部にあたる地域に西夏王朝が成立します。
 その初代皇帝の李元昊(りげんこう)が自分たちの話す西夏語を記述するための文字を家臣に命じて約6000作成したのが西夏文字です。
 1227年に西夏王朝が滅亡し、しばらくは使われていましたが、次第に使われなくなり、意味がわからなくなってしまいました。
 それを1960年代に解読したのが京都大学教授であった西田龍雄博士で、その功績によって文化功労賞を受賞しておられます。  

 現在、世界には7000近い言語があると言われています。
 かつてのように便利な通信手段がなかった時代には、山岳地帯や森林地帯では人々は孤立して生活しており、それぞれ独自の言葉を使用していました。
 その名残でネパールには120以上の言葉が存在し、パプアニューギニアには840以上、オーストラリアには270以上の言語が存在しています。
 しかし、人々が容易に移動できるようになり、通信手段も便利になると、同じ言葉を話す方が便利なため、実際に使用される言語は減っていき、現在の世界の人口80億人のうち、半分の40億人の人々は23種類の言語だけで意思疎通をしている社会になっています。
 その結果、石碑などに文字は記録されているけれども読み方もわからないし、意味もわからないという文字がかなり残っています。
 紀元前3300年頃から1500年ほど続いたインダス文明の人々が使っていた「インダス文字」、紀元前1200年頃から紀元前後まで中米に存在したオルメカ文明の人々が使っていた「オルメカ文字」、太平洋の真ん中にあるイースター島にいた人々が使っていた「ロンゴロンゴ」など、数十の文字が解読されないままです。
 このような事実を知ると、長めにみても文字を発明して1万年にもならない人間の文化がいかに儚いものかを実感します。





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