TOPページへ論文ページへ
論文

 7月13日(土)にヒマラヤ中腹にあるブータン王国で下院に相当する国民議会の総選挙がおこなわれ、野党が大逆転勝利を収めたということが話題になりました。
 ブータンは1907年にワンチュク王朝が成立して以来、世襲の絶対君主制でしたが、2005年に立憲君主制に移行し、2008年に国民の投票による第一回国民議会選挙がおこなわれました。
 このときはブータン調和党が47議席中45議席を占める圧勝でしたが、今回は野党であった国民民主党が32議席、与党のブータン調和党は15議席となり、昨年の日本の衆議院選挙と同様に、小選挙区制の典型的な逆転選挙となりました。

 逆転の主要な原因は3つあります。
 第一は6月にティンレイ首相が中国の温家宝首相と会談し、外交関係の樹立を目指すという会話をしたこと、第二は投票直前に家庭ガスの値段が2倍に高騰したことと言われています。
 第三は若者の失業率の急増です。
 最初の二つとは関係のなさそうですが、実は密接な関係があります。
 ブータンは南がインド、北が中国という両大国に挟まれた人口70万人の小国で、国防はインドに依存し、経済もインドの支援に頼っています。
 インドとしては自分が守っていると思っていたブータンが、最近、インドとは緊張関係にある中国に近寄るようなティンレイ首相の行動を牽制するために、家庭用ガスの補助金を廃止し、それが効果を発揮して、与党が逆転負けをしたという経緯です。

 この第三の問題が本日お話ししようと思っていることですが、なぜ失業率が増大しているかということです。
 ブータンは世界で最後にテレビジョンとインターネットが到達した国と言われ、1999年にテレビジョン放送とインターネットが解禁になり、2003年には携帯電話も解禁になりました。
 私は2年前にブータンの僻地まで行きましたが、多くの家庭にテレビジョン受像機があり、首都のティンプーにはインターネットカフェが数軒開店しているほどでした。
 携帯電話も2011年の普及率が61%にもなり、日本の10年前の水準と同等になっています。

 この情報手段の急速な浸透によって出現したのが、失業率の増加です。
 私の訪問した僻地は11戸の農家からなる集落でしたが、そのうち4戸が空家になっていました。
 テレビジョンを見た若者が都会の生活に憧れ、首都に出て行ってしまい、農業を継ぐ人がいなくなってしまったからです。
 その結果、首都には職がないままに若者が集まってくるため、盆地の周辺の山麓には安価なアパートの建設ラッシュで、昭和30年代から40年代の東京や大阪の郊外のような状態でした。
 首都の中心部では、伝統の「ゴ」「キラ」という服装に変わってTシャツと短パンの若者が歩きながらアイスクリームを食べる風景が出現したのです。

 ブータンと言えば先代の国王が弱冠21歳の1976年に「国民総幸福(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」という、現在では有名になった言葉で国家目標を宣言し、幸福国家と言われています。
 2011年には国際連合総会で、ブータン政府が提言した「幸福の追求は人類の基礎となる目標である」という議案が採択され、2012年にはアメリカ連邦準備制度理事会のバーナンキ議長が「経済の豊かさを測るための指標としてブータンの国民総幸福量推計が参考になる」と延べ、今年6月には西川太一郎荒川区長の音頭で幸福を目標とする日本の自治体の協力組織「幸せリーグ」が設立されるなど、世界に浸透してきましたが、本家のブータンでは崩壊が始まっているのです。

 ブータンを訪問した朝日新聞の記者が興味深い報告をしています。
 ブータンの少女に「貴方の幸福度は何点か?」と質問したところ「8点」という返事でした。
 そこで不足の2点の原因を尋ねたところ「韓国に生まれなかったこと」という回答が戻ってきたのです。
 無償で提供される韓国ドラマのテレビジョン番組を見て、憧れてしまったという訳です。
 同じようなことは今年訪問したインドネシアの孤島で水上生活をしている人々にも見かけられました。
 水上に建てた家の内部にテレビジョン受像機だけではなく、立派なオーディオ装置や不釣り合いなソファが置いてあるのです。
 理由は数年前から電気が通じたので、衛星放送を見て、都会の生活に憧れ一生懸命購入した結果です。
 素潜りの漁業しか生計のない孤島で稼げるはずはなく、主人は一年の大半を都会の工場に出稼ぎに行っているということになってしまっています。

 これらの事例で分かるように情報を得るということが不幸の始まりなのですが、古来、人間はこの問題に気付いていました。
 旧約聖書には、楽園で生活していたアダムとイブが神から食べてはいけないと命令されていた「知識の木」の実を食べたために楽園を追放される話があります。
 ギリシャ神話には毒蛇に咬まれて死んだ愛妻エウリディーケを取り戻すために冥府に出掛けたオルフェウスが連れ戻すことに成功しそうになりますが、振り向いてはいけないという約束を破ったために、エウリディーケは再び冥府に戻ってしまう話があります。

 人間は知ることが不幸になることを古来悟っていたのですが、現代はウィキリークスや、アメリカのNSAの盗聴活動など、懲りずに情報収集の努力をしています。
 中国の「老子」には「我唯知足」という言葉があり、古くから日本にも伝わっています。
 爆発していくビッグデータ時代に、私達は情報を獲得することの意味を再する必要があると思います。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.