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論文

 今週月曜日の10月1日に東京駅の丸の内駅舎が約100年前の1914年の創建当時の姿に復元されました。
 残念ながら、天皇・皇后両陛下をお迎えして開かれる予定であった記念式典は台風17号の影響で中止になりましたが、近代日本を象徴する名建築が、毎日、大量の人々が通行する駅の機能を妨げることなく、6年間の工事によって復元されたのは、日本の建設技術の能力を証明する快挙だと思います。
 この工事によって話題になったのが、約500億円といわれる工事費用を空中権の売買で捻出したということです。

 私も50年近く前に建築学科を卒業していますが、その時代に勉強した「建築基準法」という法律では、建築物には高さ制限があり、住居地域では最高20mまで、それ以外の地域では最高31mまでという規則がありました。
 なぜ31mという中途半端な数字になっているかというと、現在の建築基準法の基になっているのは1919年に制定された「市街地建築物法」ですが、その当時は尺貫法の時代であったので、住居地域は65尺、それ以外の地域では100尺と決めたのです。それがメートル法に移行するときに換算されて20mと31mという数字になったという経緯です。
 ところが1970年に建築基準法が大改正され、容積制に変わりました。
 その背景にあったのが建築技術の進歩です。
 100尺と決めた時代には、地震国の日本で、それ以上の高い建物は建たないという判断だったのですが、コンピュータで構造設計ができるようになって、31mを越える建物の建設が可能になってきたのです。
 そこで1963年に建築基準法が改正されて、高さではなく容積を制限するということになりました。

 これは100という面積の土地があり、その容積制限が500%であれば、500という床面積の建物までを建てていいという制度です。
 もし敷地一杯に四角い建物を建てた場合は5階建てまで、半分の面積に建てれば10階建てまでというようになる制度です。
 この法律改正によって実現したのでが、1968年に竣工し、日本の超高層建築の第1号となった霞ヶ関ビルディングです。
 計画当初は31m制限の時代でしたから9階建てで設計されていましたが、法律が改正されたので、36階建てに変更されたという経緯があります。
 前置きが長くなりましたが、この容積制で登場してきたのが空中権という考え方です。

 例えば、容積率が800%の都心部に神社があるとします。
 比較的広い境内にせいぜい2階建ての建物くらいしか建っていませんから、容積率はほとんど使われていない状態です。
 しかし歴史のある神社ですから別の場所に移転したり、神殿を取り払って高層建築にすることも困難です。
 そこで、利用していない容積率の権利を周囲の土地に売却し、譲渡する側は金銭を得て、譲渡された側は800%の容積率制限のある土地に、それを大幅に越える容積の建物を建設できるという一挙両得の制度が考えられ、日本では空中権の売買といわれる制度になりました。

 アメリカではTDR(Transferable Development Right)移転可能開発権と言い、50年以前から存在していました。
 そのきっかけとなったのは、戦後、ニューヨークのマンハッタンが発展し、超高層建築が次々と建設されるようになり、高層ビルに挟まれたセントポール教会、トリニティ教会、プラザホテルなどの歴史的建造物が再開発の対象になり社会問題になりました。
 そこで登場したのが、歴史的建造物の建っている敷地の利用されていない容積率を周辺の敷地の容積率に加算するTDRという制度で、1961年に成立しました。

 日本では大幅に遅れ、1999年に同一街区内、すなわち道路で囲まれた区域内の隣接地に権利を移転可能にする建築基準法と都市計画法の改正(連担建築物設計制度)が行われ、2000年には街区を越えても移転可能にする法律改正(特例容積率適用区域制度)が成立しました。

 この2番目の制度を最初に利用したのが東京駅で、駅一帯の用地は容積率900%の土地ですが、定められた容積率の2割程度しか使用していないので、余っている8割の容積率の権利を、道路を越えた三菱地所の「新丸の内ビル」「東京ビル」「丸の内パークビル」などに売却し、500億円の収入を得て、今回の東京駅復元の費用に充てたという次第です。

 これは三菱地所にとっても恩恵があり、2007年に竣工した新丸の内ビルの敷地の基準容積率は1300%ですが、東京駅から買い取った容積率を追加して、1760%という日本最大の容積率をもつ建物を建設し、高さも従来の31mから198mと6倍以上になりました。

 これ以外にも、東京の内幸町にある日比谷シティは、適用された制度は違いますが、日本プレスセンターを中心とする日比谷国際ビル、富国生命本社ビル、日比谷セントラルビルが優良な街区を作るという条件で容積率の割増しを受け、11階建てで十分の日本プレスセンタービルの余った容積率を他の3本の建物に売却して成立したものです。

 これは経済的な観点からは売却した側にも購入した側にも利益がある一挙両得の制度で、今後、増加してくると思いますが、マンハッタンに見られるように、石造の歴史的建造物が、何倍もの高さがあるガラス張りの超高層建築の谷間に埋もれるような都市環境にもなりかねず、都市景観の視点から反対する人々も存在します。
 この制度の許認可の権限は国ではなく、地方自治体にありますので、長期の視点から都市を考える行政の視点が重要になると思います。





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