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論文

 来週月曜日の10月1日は「印章の日」、すなわち「判子の日」です。
 これは明治6年(1873)10月1日に明治政府が印鑑登録の制度を設け、証書の姓名欄には、本人が姓名を自書し登録した実印を押す、本人が名前を記すことができない場合は他人に書かせてもいいが、実印は必ず押すこと、ということを定め、これを記念した日です。
 印鑑で本人を証明するという制度の歴史は古く、紀元前3300年頃に、中東のシュメールで円筒形の印鑑を粘土版に転がして本人を証明する制度が誕生し、ここから東西に広がりましたが、西洋では次第に使われなく、本人の証明は署名(サイン)になり、中国など東洋でも署名が使用されるようになりました。
 中国では5世紀に署名である花押が使われはじめていますし、日本でも平安時代から戦国時代にかけては花押が使われるようになり、有名な大名の花押が数多く残っています。
 しかし、印鑑も署名も本人を証明するのには確実な方法ではありません。

 1960年に公開された『太陽がいっぱい』という映画で、主人公のアラン・ドロンが友人を殺害し、その財産を手に入れるために、友人のサインをプロジェクターで大写しにして筆跡を覚える場面がありますが、そのようにして真似することもできますし、本人が書いても、いつも一定とは限らず、心許ない方法です。
 印鑑はどうかといえば、現在ではコンピュータ技術を駆使して簡単に同一の印鑑を作れますので、銀行員が登録された印影と捺印された印影を目で比べる程度では、ほとんど見破ることができません。
 実際、私の友人の別荘地が知らない間に他人の所有になっていたので、調べたところ、偽造された実印で転売されていたという事件がありました。

 そこで本人が本人であることを証明するために、本人しか所有していないものを使用するという方法が検討されはじめました。
 それが生体認証で、本人の身体に付属している属性で、世界に同じ属性をもつ人間はいないという身体の特徴を使用すれば大丈夫だというわけです。

 もっとも古くから研究されてきたのが「指紋」です。
 17世紀末から、科学者は指紋に関心をもっていたのですが、1788年にドイツの解剖学者ヨハン・マイヤーが、指紋は一人一人違うので、個人の識別に有用であるということを指摘しました。
 そこで19世紀末から犯罪捜査に指紋が使用されるようになり、1901年にはロンドン警視庁であるスコットランドヤードが採用し、世界に普及するようになります。

 長年、犯罪捜査では活躍し、映画などでは犯罪現場で警察の鑑識の専門家が指紋を採取する場面が登場しますが、現在では個人を証明する完全な方法ではなくなりました。
 日本では2007年11月から空港で指紋認証システムを導入しましたが、2008年10月に、羽田空港に到着した韓国の女性が指紋を印刷した薄い膜を指に張り付け、空港の指紋認証システムに指をかざして通過してしまいました。
 その女性が1年後に出頭して供述したために偽造が判明し、調べてみたところ、少なくとも8名が通過していたことが分かり、指紋は完全ではないということになりました。

 次に登場したのが虹彩(アイリス)です。
 目の瞳孔の周辺にドーナッツ状に色のついた部分があり、ここの模様は一人一人違っていますので、それを判別すればいいというわけです。
 これは指紋と違って、すり減ったりすることがないうえに、一卵性双生児であっても虹彩の模様は異なるので、完全に個人を識別することができます。
 しかも4万ピクセル程度の写真でも十分に識別でき、誤って認識する比率は1000億分の1程度とされていますから、70億人程度の世界人口はすべて判定することが可能です。
 実際、アラブ首長国連邦では空港の出入国手続きで使用されていますが、これまで誤った判定をしたことがないそうです。
 しかし、中国の戈と楯の話のように、どのような技術も上をいく技術が登場し、すでにSF映画で使われているように、コンタクトレンズに虹彩の模様を印刷すれば、どのような人にも成り済ますことができ、完全とは言えません。

 それ以外にも、声で識別する方法、掌や指を透かして静脈の模様を使う方法などが研究されていますが、最近、注目されているのが顔で識別する方法です。
 顔こそ指紋や虹彩よりも、年齢で変わりやすいし、見る方向で違うし、整形手術で変えることもでき、正確ではないように思われますが、コンピュータ技術の進歩で実用になってきました。
 1970年代から研究が始まり、当初は20%程度しか識別できませんでしたが、現在では99・7%程度まで識別可能になっています。
 この技術が注目されるのは、指紋や虹彩のように、特定の装置の前でしか検査ができない技術ではなく、遠方からでも写真を撮影して判別できますし、多数の人間のなかから特定の人間を探し出すこともできるので、防犯カメラの映像から犯人を探したり、群衆の中から犯人を探したりすることができるからです。
 今年の8月から成田空港と羽田空港では実証実験が行われていますし、ホテルや会員制クラブで「顔パス」が利用できるようにするために導入されている例もあります。
 140年前に印鑑で始まった本人確認が大きく変貌しつつあるというわけです。





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