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論文

 井川意高(もとたか)大王製紙前会長が逮捕された関係で、「井川家の心」と呼ばれる家訓が話題になっています。
 これは井川前会長の祖父に当る創業者の井川伊勢吉氏が平成2(1990)年に亡くなる直前に残したといわれるもので「大王製紙あっての井川家。井川の家はすべてにおいて大王製紙の利益を優先させる」という内容のようです。
 したがって、井川意高前会長の今回の一連の行動は大王製紙に手痛い被害をもたらしていますから、この家訓に背いたということになるわけです。
 家訓といわれる企業理念は多くの企業に存在していますが、各社の家訓、とりわけ歴史のある企業の家訓と比較すると、この「井川家の心」という家訓は大変に異質な内容だということが分かります。

 まず、今回の井川前会長の行動に関係するような他家の家訓から紹介したいと思います。
 安土桃山時代から江戸時代の初期にかけて博多で活躍した貿易商の島井宗室(1539-1615)の「島井宗室遺書」には主要な項目として「賭事、遊芸にふけるな」「40までは質素第一」「宴会好きを戒む」「外付き合いより家を治めよ」「かせぐは一生のつとめ」など17か条が書かれています。
 ちなみに「賭事、遊芸にふけるな」については「生涯を通じて、博打、双六など、およそ賭事は無用である。碁、将棋、武芸、謡、舞も40までは無用である」と書かれています。
 この種の家訓は多く、住友家の長崎支店において1721年に定められた「住友長崎店家法書」には「博打、勝負事の類いは難く無用のこと」「客を口実として自分の遊興の費用を店の出費としてはならない」と書かれています。
 井川前会長も、これを知っておられれば、今回の事態は避けられたかも知れないという内容です。

 同じ時代に京都を本拠として貿易商として朱印船貿易で活躍した角倉素庵(1572-1623)は、創業者角倉了以の長男で後継者ですが、日本の朱子学の祖とされる藤原惺窩に師事した学究肌の商人で、貿易に従事する家人の心得を「舟中規約」として残しています。
 これは藤原惺窩の助言を受けながら作成したもので、格調が高いのですが、「貿易の事業は有無相通じることにより、他にも己にも利益をもたらすためのものである。他に損失を与えることによって己の利益を図るものではない。ともに利益を受けるならば、その利は僅かであっても、得るところは大きい」と書かれています。

 この自分と相手の双方の利益を図るという精神は様々な家訓に共通するもので、1831年に京都で創業した呉服店「たかしまや」の家訓には「確実なる品を廉価に販売し、自他の利益を図る」とありますし、石門心学の開祖である江戸時代の倫理学者・石田梅岩の言葉として「実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり」が残っています。「すべてにおいて大王製紙の利益を優先させる」という家訓とは隔たりがあります。

 売手と買手の双方の利益を図るという精神から発展した規範も登場します。
 大変に有名な例は、特定の商家ではありませんが、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」という、通称「三方よし」の精神です。
 現在の岡谷鋼機の前身である岡谷家は1669年創業の老舗ですが、その創業者の岡谷総助が晩年に書き残した「岡谷家家訓」には「土地の人々と仲睦まじくするように」と書かれ、商売の関係者だけではなく、商売をしている地域との関係を良くすることが重要だということを強調しています。
 このような精神は江戸時代の特徴と思われるかもしれませんが、現代にまで続いています。

 パナソニックの前身である松下電器産業を創業した松下幸之助は1932年に、社員に対して「商売や生産の目的は、その商店や工場を繁栄させるのではなく、その活動によって社会を富ましめるところにある。その意味においてのみ、その商店なり、その工場が反映することが許されるのである」と演説しています。

 本田技研工業を創業した本田宗一郎も「地域に迷惑をかける企業は廃業すべし」と言い、実際、自分が無くなる前に、「葬儀をすると、多くの人が自動車で集まり交通渋滞を発生させ、地域に迷惑をかけるから葬儀はしないように」と遺言しておられます。

 このような精神は日本企業の専売ではなく、例えば、フォード自動車を創業したヘンリー・フォード一世は「金しか生み出さないビジネスは貧しいビジネス」と言っていますし、自然素材を使用した化粧品を販売して大成功したボディショップの創業者アニタ・ロディックは「生産活動による社会への影響を最低限に押さえ、利益は地域社会に還元する。これまで企業は、そのようなことは自分たちの仕事だと考えて来なかった」という言葉を残しています。

 このような理念を要約すると、ノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センが構築した道徳と倫理を組込んだ経済学に到達しますが、それと対比すると「すべてにおいて大王製紙の利益を優先させる」という家訓は時代から取り残された内容であり、そこに今回の事件の原点があったのではないかと思います。





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