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論文

 今週の日曜日9日に岩手県宮古市で開かれた「三陸シーカヤックマラソン・イン宮古」に参加してきました。
 このカヤック大会は2001年が宮古港が開かれて385周年にあたり、385すなわちミヤコだということで第一回が開かれ、今年は11回目にあたります。
 私も初回から参加していたので馴染みのあるカヤック大会なのですが、実は4月に宮古市を訪れ市長さんなどにお目にかかったときに、今年は中止せざるをえないと言っておられました。
 しかし、このような時期にこそ、地震や津波の被害の実態を多くの方々に知ってもらうために開かれたほうが良いのではないでしょうかと申し上げて、開かれることになったという経緯もあり、参加してきたというわけです。

 前日の昼間はカヤックに乗って宮古湾内の海岸のゴミを拾うなどの清掃活動をし、夕方には地域の方や私が津波について講演をするシンポジウムが開かれ、9日に湾内を一周するカヤック大会が実行されました。
 その意図が全国の多くの方々に関心を持たれ、南は鹿児島の奄美大島から北は青森までの広い範囲からカヤック愛好家が集まり、これまでで最高の150名以上の人々が参加する盛況になりました。
 例年は競争をするのですが、今年は津波の実態を知っていただくために、海上保安庁の船に先導され、湾内の海岸沿いを半日かけてゆっくり回りましたが、すでに7ヶ月が経った現在も、各地で防波堤がズタズタになったままで、海中には転覆したヨットのマストが突き出ており、また、海岸近くの高台にあった住宅地の住宅も完全に消えており、津波の力が如何に凄いかを実感しました。

 そして夜は、津波で住宅が流されてしまい、仮設住宅に住んでいる友人夫妻の仮住まいに無理をお願いして泊めてもらいました。
 そこで仮設住宅体験から知ることのできた地震と津波に遭った地域の状態をご紹介したいと思います。

 場所は宮古市の中心から4kmほど離れた住宅団地の小学校跡地で、テレビジョンなどでよく見掛ける平屋の長屋が何列かに並んで43戸建設されていました。
 友人夫妻は4人家族なので小さな部屋が3室ある住宅を割当てられていましたが、入口のドアを開けると、いきなり台所のある小部屋になり、驚いたことは家庭電化製品が一式揃っていることでした。
 市役所の復興担当の友人に聞くと、すべての仮設住宅に義援金で6種の神器と呼ぶ家庭電化製品を備えているということで、32インチの液晶ディスプレイのテレビジョン、容量が400リットルの大型電気冷蔵庫、最新の電気洗濯機、電子レンジ、電気炊飯器、電気掃除機が新品で揃えられ、それ以外に電気ポット、扇風機、石油ストーブも無償提供されておりました。

 その程度のことで、自宅を失った痛手が消え去るわけではありませんが、ほかにも色々と問題はあるようでした。
 冷暖房のできる空調設備は設置されていますが、1部屋にしかないので、暑いときには各部屋を仕切るアコーデオンドアを閉められないし、今回でも夜はすでに相当冷えており、これから寒くなると暖房が十分にできないために、多くの仮設住宅に住む家庭は石油ヒーターを購入していますが、これによる火事が発生しはじめており、私が泊まった翌朝も近くに消防車が駆けつけていました。

 しかし、最大の問題は建物や設備は何とか用意されたものの、各地から集まった家族が突然、狭い場所に隣り合わせに生活せざるを得ない状況になり、地域社会が存在していないことです。
 それは大都市の集合住宅でも同様ですが、限界集落、無縁社会という言葉が象徴する日本の社会の現状を考えると、三陸地方の問題としてだけではなく、日本の将来の問題として考えるべきだと感じました。

 前の夜に開かれたシンポジウムでの質疑応答で、早く地域を復興したいのだが、政府の基本方針が示されないので開始できないという不満が何人かの方から出されました。
 政府は今回の津波よりも低い防潮堤を5年程度で建設するという漠然とした計画しか示しておらず、高台移転も明確な方針が作られていません。
 朝日新聞が10月10日に発表した被災した沿岸の37市町村へのアンケート調査でも、高台移転を目指すと明確に決めているのは9市町村で、それ以外の市町村は浸水した地域を利用する意向のようです。
 現場をほとんど知らない復興担当大臣が次々と変わるような中央政府が実務的な復興を指導するのは不可能で、民主党のマニフェストにある地域主権を早期に実現し、奮闘している地域の首長が自由に裁量できる仕組を早急に作るべきだと思います。

 さらに心配なのは、奥尻島を襲った北海道南西沖地震(1993)や阪神淡路大震災(1995)と比べると、世の中に次々と大事件が起こる時代のために、東日本大震災が急速に忘れ去られているのではないかということです。
 ボランティア活動はまだまだ期待されていますが、人数は急速に減り、義援金も頭打ちになっているようです。
 お金で比較するのははしたないのですが、人口3000人強で200人近くの方々が犠牲になった奥尻島には義援金が198億円集まり、被災した世帯には1000万円以上が配られましたが、人口5万8000人の宮古市には、現在のところ直接寄せられた義援金が4億7000万円、日本赤十字社などから72億円の義援金しか集まっていないそうです。
 不景気の底にあるような時代を反映しているのかも知れませんが、お金はともかく、被災地以外の人々が、現在でも職を失い仮設住宅で細々と生活している実際を知り、物心両面で応援していくことが必要だと痛感しました。





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