TOPページへ論文ページへ
論文

 久しぶりに世界の先住民族シリーズを紹介したいと思います。
 3月にベトナムと中国の国境に生活する少数民族を訪ねてきました。
 ベトナムは人口8600万人ほどの国ですが、54の民族により構成されており、88%はキン族が占めています。
 残りの12%に相当する1000万人ほどの53の民族は先住民族ではなく、少数民族と呼ばれて、主に北部の中国との国境地帯、西部のラオスとの国境地帯の山岳で生活しています。
 最大のタイー族が96万人、ホア族が93万人、ターイ族が77万人という規模ですが、今回は北部に15万人ほどが生活するヌン族の文化をご紹介したいと思います。
 場所は首都のハノイから北西方向に約200kmの位置で、あと10kmほどで中国との国境という場所です。

 200kmは近いようですが、道路が十分に整備されておらず、また最後は急な山の斜面に作られた蛇行した道路となり、8時間近くの強行軍でした。
 反対車線から中心線を超えて二輪車が次々と飛び出してくるのですが、警笛を鳴らしっぱなしで、二輪車を蹴散らしながら突進していくという運転が必要で、日本人では絶対に運転が出来ない交通事情です。
 何とか無事に旅館のある町に到達し、そこからさらに自動車で1時間ほどの集落で火の儀式と森の儀式があるというので撮影に向かいました。

 途中の景観は、孫文が「耕して天に至る」と表現したような棚田が谷底から山の頂上付近まで連続して作られており、その急斜面の所々に数軒の農家が一塊になった集落があります。
 その農家は2階建てで1階が家畜小屋、2階が住居になっていますが、建物は木材を組合わせて骨組を作り、床と壁は竹で作り、屋根は藁です。
 しかも1間しかない2階の中心に囲炉裏があり、そこで薪を燃やして炊事も暖房もしますから、火が付けば瞬く間に火事という状態です。
 そこで火の神様を鎮める儀式が1年に1回行われます。

 祭司を先頭にした数人が家の前に到来し、祭司が2階の囲炉裏から火の点いた薪を持ってきて、竹で作った小さな神輿にいれて、お経を唱えます。
 何をしているのかと聞くと、火の神様が暴れないように祈っているのだそうです。
 それが終わると数百メートル離れた次の集落に行って同じことを繰返し、2組の巡回班が全部を回って最後に河原に集合し、そこから竹製の神輿を川に流して神様を遠ざけ、最後に河原に下りる道の途中に、何本かの竹製の刀を吊るして火の神様が集落に戻って来ないように封じ込め、儀式は終了です。
 日本でも岩手県無形民俗文化財に指定されている日高火防祭(ひたかひぶせまつり)を始め、各地に火の神様を鎮める祭礼がありますが、その原型が残っているという印象でした。

 同じ日に、森の神様に感謝する儀式があり、これも見学させてもらいました。
 見渡すかぎりの棚田の一画に、自然のままの森が残っています。
 ここは日常、祭司以外は入ってはいけない聖域で、年に3回、その森に感謝する儀式が行われ、そのときには集落の各戸の男子が一人ずつ参加します。
 ベトナムでは、日本と反対に、白は葬儀などのときの色で、黒や藍色が祭礼のときの色なので、全員が黒い服装で数10メートルもある木の茂った森に集まりますから、日本人には異様な光景です。

 神社という建物はなく、高さ1メートルほどの祠が斜面に作られているだけで、祭司と何人かの代表がお祈りをし、やがて1頭の大きなブタが祠の前で殺され、頭や内蔵の一部が捧げられ、それ以外は毛をむしっただけで、皮も骨も内蔵もすべてぶつ切りにして熱湯を湧かした大鍋に放り込みます。
 肉が茹で上がった頃にお祈りも終わり、森の斜面に200人近い人々が陣取って盛大な宴会になります。
 持参した焼酎と御飯と、その場で茹でた豚肉だけの宴会ですが、15分もしない間にきれいに平らげ、三々五々、村人は帰っていき、再び静かな森に戻るという儀式で、日本の儀式のように形式化されていませんが、真剣さは伝わってきます。

 農村地帯の人々が肉を食べるのは、祝宴か来客のときくらいなので、年に何回かの贅沢な食事をする機会という意味もありますが、本質は水源である森に感謝するということです。

 火の儀式が火防祭という形で日本にもあるように、神聖な森を守るという文化も日本に根付いています。
 昨年10月、名古屋市で「生物多様性条約第10回締約国会議」が開催され、日本の「里山」という考え方が話題になり、世界に浸透しつつあります。
 日本人は生活している場所の周囲の森林を「里山」と「奥山」に分け、里山は薪を伐採したり、山菜を採ったりして、日常生活で利用する森、奥山は神の領域で、日常は立ち入らず、祭礼のときだけ立入りが許される場所です。
 そして、この奥山への入口にあるのが神社で、村人は普段は入口の神社でお参りをしているという仕組です。
 何回か前にご紹介しましたが、三陸地方の津波でも神社よりも高い場所は無事であったというのは、このような文化の背景が意味あるものであり、それはベトナムでも同じだということです。

 最近、登山ブームで「山ガール」という言葉も誕生しています。
 自然に親しむということは素晴らしいことですが、山に登るということの背後にある文化を理解して登ると、さらに自然を深く理解できると思います。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.