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論文

 2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震では津波による推定の死者が約28万人で、人類史上有数の自然災害と言われましたが、やや離れた場所ということもあり、恐怖が実感できませんでした。
 しかし、今回の東北関東大震災は亡くなられた方の人数は数万人にはなると推定されるとともに、個人的なことになりますが、被害が甚大であった岩手県の三陸海岸や宮城県の荒浜海岸は何度もカヤックで航行した場所であり、美しい海岸が一変している状態を見ると、津波という自然現象の威力を実感します。
 まだ、何十万人の方々が避難しておられ、行方不明の方々の捜索も続けられている時期に話題にするのは早いかも知れませんが、いずれどのように破壊された地域を再生するかということが課題になります。
 そこで今日は、それについての一つの考え方をご紹介させていただきたいと思います。

 今回、甚大な災害に見舞われた場所の一つに宮古市に合併された田老町という地域があります。
 宮古市の中心部から北に12〜3km行った海岸沿いにある漁業の町です。
 ここは「津波田老」と呼ばれたことがあるように、慶長16(1611)年の「慶長の大津波」のときには波高15から20mの津波によって全滅、明治29(1896)年の明治三陸津波のときにも波高14.6mの津波により345戸の住居が全滅し、2248人の住民の83%になる1867人が死亡、当時の新聞に「生存せるは漁のために沖に出おりし者、牛追いて山にありし者のみ」と書かれたほどの被害でした。
 さらに昭和8(1933)年に発生した昭和三陸津波では、波高10mの津波により、559戸の住戸のうち500戸が流失し、人口2773人の32%に相当する911人が死亡という津波に魅入られたような集落です。
 この田老町にはカヤック仲間が住んでおり、この港からカヤックで出発するために何度も訪ねていますが、目につくのは漁港のすぐ後ろ側にそびえる防潮堤です。

 これは海側から見ると高さ10m、陸側からでも7.7mもある巨大なコンクリートの壁で、上部の幅が3m、下部の幅は広いところで25m、長さが2433mもあり、集落と海岸の間を完全に遮断しており、「田老万里の長城」とも呼ばれています。
 これは昭和三陸津波の翌年の昭和9(1934)年から建設が開始され、第二次世界大戦中の中断を挟んで昭和53(1978)年に、45年間かけて実現した大事業です。
 このような経緯をご紹介したのは、昭和三陸津波の後の津波対策の検討のときに、当時の地震学会の会長で直前まで東京大学地震学科の教授であった今村明恒(あきつね)教授が、「将来津波の際における人命ならびに住宅の安全を期するために、今次ならびに明治29年における津波襲来の浸水線を標準として、それ以上の高所に住宅を移転せしむる」という提言をしていたのです。

 この今村博士は1899年に津波は海底の地殻変動が原因であるという、現在では正しい学説を発表しますが、当時は受け入れられず、また1905年には50年以内に東京に大地震が発生するという記事を雑誌に発表し、大学の上司から叱責されますが、1923年に関東大震災が発生するなど、素晴らしい洞察力をもった学者でした。
 そのような学者の意見でしたから、内務省も岩手県も集落全体を高台に移転する方針を決定しました。
 実は、明治三陸津波の後にも、田老村の復興計画は山麓に土盛りをして、集落全体を高台に移す内容で、一部工事が始まったのですが、「津波は一生に一度来るか来ないかの災害」という意見が強くなり、中断した経緯があります。
 そして昭和の計画も周囲に宅地造成をする高台がない、海岸から離れると漁業者が不便である、そして生誕の地、先祖の墳墓の地は去り難いなどの理由などにより、名村長とされる関口松太郎の決断で防潮堤を建設することにし、45年間かけて実現したのです。
 これは昭和35(1960)年のチリ津波などには効果を発揮し、チリ大学の教授一行が見学に訪れるなどしたために世界的に有名になった防潮堤ですが、今回の津波はそれを超えて町を襲い、私の友人夫妻も命は何とか助かったものの数年前に新築した自宅は消滅してしまったとのことです。

 今回の福島原子力発電所の被害も、想定していた以上の津波が防潮堤をあっさりと超え、非常用発電機の燃料タンクを破壊したために電力供給ができなくなったことが、悪戦苦闘の出発点であるように、自然の力は人間の想像力を越えるものがあります。
 日本の将来を考えると、人口は確実に減少していきますから、土地には余裕がでてくる一方、地球温暖化が進めば自然災害の威力が増大する可能性もある時代になります。
 確かに、先祖伝来の土地から離れ難いという心情は日本人の重要な精神ですが、田老の万里の長城をしても完全には津波を防げなかったという事実を考えると、各地の再生計画は新しい視点から考える事も必要だと思います。





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