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論文

 先月9日に「しれとこ100平方メートル運動」が目指していた用地の買収が完了したという報道がありました。
 この運動は日本のナショナルトラスト運動の象徴ともされていますので、その意味をご紹介したいと思います。
 知床半島は2005年5月にユネスコの世界自然遺産に登録されて一躍有名になりましたが、日本で数少ない人手がほとんど入っていない原生の森林が残っている貴重な場所とされています。
 ところが、実はオホーツク海に面した知床半島の付根の岩尾別の一帯は大正時代の1910年代から開拓する人々が入植し、特に戦後は多数の人々が入植して森林を伐採してきました。
 一時は60戸近くの人々が生活し、小中学校も設置されて延べ200人以上の生徒が卒業するほどでしたが、もともと農業をするのには厳しい環境であったうえ、1964年に知床半島が国立公園となり、国が戦後の開拓事業を転換させようとする動きが重なり、1960年代中頃に最後まで残っていた24戸の農家が離農して開拓時代が終わりました。

 ところが、70年代に入ると、田中角栄総理大臣の提唱する日本列島改造論の影響で、知床半島にも不動産業者が来て、土地を買収するようになりました。
 そこで原生の森林が乱開発で消えていくことを懸念した、当時の斜里町長の藤谷豊(ふじやゆたか)さんが、19世紀末からイギリスで行われているナショナルトラスト運動を参考に、77年に「しれとこ100平方メートル運動」を提唱します。
 これは運動本部に8000円を寄付すると、100平方メートルの開拓地を購入したことになるという活動です。
 当初はナショナルトラストという言葉さえ、あまり日本では知られていない時期だったのですが、「知床で夢を買いませんか」というキャッチフレーズと、79年に朝日新聞の天声人語に運動が紹介され、急速に募金が集まるようになり、97年までに延べ4万9024人の人々から5億2000万円が寄付され、当初の目標を達成しました。
 そこで後継の牛来昌(ごらいさかえ)町長が「知床で夢を育てませんか」とキャッチフレーズも変え、「しれとこ100平方メートル運動の森・トラスト」に転換しました。
 これは1口5000円の寄付によって、取得した土地にハルニレやミズナラなどの広葉樹を植える活動をおこなうものです。

 この用地買収は地権者が全国に分散しており簡単ではなかったのですが、斜里町の職員が努力して、20年間で目標の471ヘクタールの97%まで購入できたのですが、最後の12ヘクタール弱が購入できないまま残っていました。
 それが今回、地権者が同意され、町が購入することになり、初期の目標を33年の努力で達成したという次第です。
 その結果、トラスト運動によって購入した471ヘクタールの土地と、もともとの町有地を合わせた861ヘクタールが森林を復活させる対象の土地となりました。これは皇居の6倍の面積に相当します。

 この「しれとこ100平方メートル運動」と「しれとこ100平方メートル運動の森・トラスト」には重大な2つの意義があります。
 第一は、日本のナショナルトラスト運動に点火したことです。
 ナショナルトラストの世界の元祖は、先程も紹介しましたが、1895年にイギリスに設立されたボランティア団体で、歴史的建造物や美しい自然景観の土地を購入して保全していく活動をしています。
 有名な保有資産では、ピーター・ラビットの作者ベアトリクス・ポターがスコットランドの湖水地方の景観を守るために、個人で1700ヘクタールの土地を購入してナショナルトラストに寄付した場所や、イギリスの首相であったウィンストン・チャーチルの遺族によって寄付された生家、ボーイスカウトの発祥の地ブラウンシー島などがあり、それらを訪れる人は年間5000万人にもなっています。

 日本では、鎌倉の鶴岡八幡宮の裏手にある御谷(おやつ)の森という森林を、1964年頃に開発業者が宅地にしようとしたときに、鎌倉の市民が反対して、市民の寄付900万円と鎌倉市の財源600万円で1・5ヘクタールの土地を購入して保全したのが第1号とされています。
 しかし、全国規模でナショナルトラスト運動を有名にしたのが知床100平方メートル運動で、その影響もあり、現在、国内には60近いナショナルトラストが存在しています。

 第二の重要な意味は、1997年から本格的に始まった植林活動です。
 開拓の時期に伐採されてしまった森林を、再度、原生の森林に戻そうという目的で、これまで50万本近い広葉樹を植えてきました。
 これがなかなか大変な仕事で、苗木や成長した木の皮を増えすぎたエゾシカが食べてしまうので、それとの戦いになっています。
 僕も何度か現地に行ったことがありますが、苗木を特殊な容器に入れて植えたり、植林した場所をネットで囲ったりしていますが、活動している人々は200年後に訪れた人々が人工林とは気付かないほどの原生林にしようと努力しています。

 このような、かつて開発した環境を、開発以前の生態系に戻すという活動を推進する「自然再生推進法」が2002年に成立して、政府も支援していますが、振り返ってみると、1970年代には田中角栄総理大臣の日本列島改造論に影響されて釧路湿原全体を干拓しようという構想が登場したり、知床半島でも1987年には林野庁が国有林を一部伐採したりという事件もありました。
 ほんの40年前とか20年前に、現在では想像しがたい考え方が社会の大勢だった時代もあったということを思い出すためにも、開拓地がすべて公有地になったという快挙を多くの方に知っていただきたいと思います。

 なお、この植林活動を支援したいという方は、北海道斜里町役場(0152-23-3131)の「しれとこ100平方メートル運動推進本部」にご連絡いただければと思います。





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