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論文

 4年以上前に、この番組で紀元前2世紀に滅亡したカルタゴの歴史を紹介し、日本の将来の反面教師とすべきという話をさせていただきました。
 今日、改めて視点を変えながら、カルタゴの衰退から滅亡に至る経緯を振り返ってみたいと思います。
 同じような話題を繰返すのは何故かと思われるかもしれませんが、この1ヶ月ほど、尖閣諸島付近で日本の領海に無断で侵入して違法な操業をしていた中国漁船の逮捕から船長の釈放までの日本の政府や経済界の判断や行動が、衰退し滅亡したカルタゴの状態と、かなり共通した部分があるからです。

 1980年代後半の、日本のバブル経済の崩壊の気配が始まった頃に『ある通商国家の興亡:カルタゴの遺書』(森本哲郎 1989)、『カルタゴ人の世界』(長谷川博隆 1991)、『カルタゴ興亡史』(松谷健二 1991)など、経済至上主義の日本はカルタゴに類似しており、このままでは日本の将来が危ういということを指摘した本が何冊も出版されました。

 それらを参考にしながら、最初にカルタゴという国を紹介します。
 紀元前9世紀に現在のレバノンに当るフェニキアのティルスという小国の王女エリッサが亡命し、北アフリカの現在のチュニジアにカルタゴを建国します。紀元前814年のことです。
 エリッサの政治手腕は、後にアリストテレスが賞賛するほど優れたものであり、しかも1本の櫂を5人で漕ぐ高速の船を開発したため、地中海貿易を独占して繁栄し、紀元前5世紀にはシシリア島も占有して地中海を支配する国になります。

 その頃イタリア半島にローマが誕生し、紀元前753年に建国しますが、当時の国力は雲泥の差で、紀元前509年にローマはカルタゴと条約を結びますが、内容を要約すると、ローマはカルタゴ領内では行動が制限されるが、カルタゴはイタリア半島で商業活動どころか軍事行動も自由というほど不平等な内容でした。
 当時のカルタゴの海軍提督が「カルタゴの許可なく、ローマ人は地中海で手を洗うことも許さず」と言った言葉が残っています。

 しかし、ローマが次第に勢力を拡大してくると、対決は避けられず、両国の間に有名な3回のポエニ戦争が勃発します。
 財力のあるカルタゴは1本の櫂を5人で漕ぐ軍艦を500隻持っていたのに対し、ローマは1本の櫂を3人で漕ぐ軍艦が数十隻という弱体で、第一次ポエニ戦争が始まる直前の海戦では20隻の軍艦のうち17隻が捕獲され、指揮官も捕虜になるという惨状でした。

 そのような紀元前264年に第一次ポエニ戦争が始まりますが、カルタゴの軍隊は基本的に周辺のリビア人やヌビア人の傭兵であり、少数の将校が指揮し、ローマ対策を真剣に検討していなかったと考えられています。
 そして、戦闘に負けると指揮した司令官を極刑に処して民衆の批判をかわすということの繰返しでした。
 カルタゴの経済至上主義は徹底しており、シシリーに派遣された名将ハミルカルが優勢で、あと一歩で勝利となったので、本国に援軍を要請すると、政府は目先の利益に目を奪われて新たな出費を惜しみ、「すでに十分な成果を挙げているではないか」と一兵も送らず、最終的には制海権を失って敗北することになります。
 この結果、締結された条約でカルタゴとローマの関係は対等に戻ります。

 カルタゴは、その後も商売に熱心で経済発展しますが、両雄相立たずで、23年後に第二次ポエニ戦争が始まります。
 この戦争の前半は、ゾウの軍隊のアルプス越え戦略で有名なカルタゴの将軍ハンニバルがイタリア半島でローマ軍に大勝します。
 しかし、ローマ軍はハンニバル不在の北アフリカに進出してカルタゴ周辺の都市を攻略し、見せしめのために徹底して殺戮や略奪をします。
 この恫喝に震え上がったカルタゴの元老院は、あくまでも戦うというハンニバルの信奉者たちを大量に処刑し、それを引き出物にしてローマと講和条約を結びますが、その内容はローマ軍の捕虜は無償で返還し、イスパニア周辺のすべての島を引き渡すなどという屈辱的な条件でした。

 しかし、またしてもカルタゴは貿易に没頭し、ローマに50年間で支払うと約束した賠償金を10年間で支払ってしまうほどの経済大国になります。
 ところが、この繁栄が仇となり、半世紀後にローマが仕掛けた第三次ポエニ戦争にカルタゴは敗戦し、19世紀になって遺跡が発掘されるまで存在した場所さえ分からないほど徹底的に破壊され尽くされてしまいます。
 その原動力となったのは、マルクス・ポルキウス・カトーという政治家がカルタゴを視察し、このような豊かな国を放置しておいては、再びローマに敵対するようになると憂慮し、元老院などで演説するたびに「デレンダ・エスト・カルタゴ(カルタゴを殲滅すべし)」という言葉を繰返し、ローマ市民を煽動したことが大きく影響しています。

 2150年以上前に消滅したカルタゴのどこが現在の日本と似ているかは、聞かれた方の判断にお任せしますが、今回、中国船の船長を超法規的に釈放するまでの過程を考えてみると、中国からの観光客が減る、中国への輸出が規制される、中国がレアメタルの禁輸措置をとるなどの一連の中国の恫喝に日本の経済界が憂慮して政府に働きかけたという噂がありますし、船長の釈放について、菅首相は「検察当局が粛々と判断した結果」と検察庁に責任を転嫁しているなど、カルタゴの政府や経済界の行動に重なる部分が少なくありません。

 最後に、ある歴史家の言葉を引用しておきたいと思います。
 「カルタゴの歴史は文明の浅はかさと弱さを示している。それはカルタゴ国民が財力の獲得だけに血道をあげ、政治、文化、倫理などの進歩を目指す努力をしなかったことである」





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