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論文

 昨年12月23日に富山市内の路面電車に新しい路線が追加されて、市の中心部の路線が環状線になったことが話題になりました。
 そこで今日は路面電車の最近の事情を御紹介したいと思いますが、理由は今日が「路面電車の日」だからです。
 これは1995年10月に路面電車を運営している14の団体などが広島に集まって「路面電車サミット95in広島」を開いたときに宣言を発表し、6月10日を「路面電車の日」に制定したからです。
 6月10日が選ばれたのは、6が「ロ」、10が「テン」でロテン、ロデンという他愛のない語呂合わせですが、実際、路面電車は注目を集めています。

 路面電車の元祖は1879年にドイツでヴェルナー・フォン・シーメンスが開発した電動モーターで走る電車で、1881年にベルリンに導入され、ヨーロッパの多くの都市に普及して行きました。
 アメリカでも1886年にアラバマ州のモントゴメリーに敷設されたのを最初として多くの都市に普及して行きます。
 ところが、20世紀になって自動車が普及し始めると、速度の遅い路面電車は自動車交通の邪魔だということになり衰退して行きます。

 日本でも同様で、戦前の1930年代には65都市で走っていたのですが、戦後の1960年代から70年代になって各地で線路が撤去され、現在では20都市になってしまいました。
 しかし、都心から路面電車を追放して自動車中心の社会にしたところ、郊外に会社や住宅が移動して都心の商業地域が衰退し、その結果、都心の治安も悪くなるという悪循環が発生してきました。
 そこで1972年にアメリカの都市交通局(UMTA)がLRT(ライトレールトランジット)、あえて日本語に訳せば軽便鉄道という概念を提案し、鉄道ほどの輸送力はないが、バスよりは輸送力があるという路面電車の普及を目指すようになります。

 その結果、1978年にカナダのエドモントンに導入されたのを最初として、1981年にはアメリカのサンディエゴに建設され、現在では北米の30近い都市に実現し、さらに40近い都市が導入を検討するようになりました。
 ヨーロッパではソビエト連邦、東欧諸国、西ドイツが路面電車を戦後も維持してきましたが、1980年代になってフランスやベルギーなども敷設するようになり、エドモントン以後、この40年間で世界の40近い都市が新規に開業し、現在では約50カ国の400以上の都市で路面電車が利用されるようになっています。

 これらの路面電車は都市の中心部の商業地域に人を呼び戻すということに主眼が置かれているため、都心は地表を走りますが、郊外になると地下を走るという自動車時代とは逆の発想で建設され、料金も都心区間だけであれば無料という制度で経営されている路線も数多くあります。
 また、一人を1km運ぶときに排出する二酸化炭素は、自動車を100とすると路面電車は17と計算されており、環境問題も追い風になっています。

 さらに追い風になっているのが「コンパクトシティ」という、新しい都市計画の概念です。
 人口が増加している間は都市が郊外に急速に拡大して行きましたが、先進諸国の多くでは人口は停滞や減少になり、その結果、高齢者の比率も高くなっていきます。
 東京でも多摩ニュータウンなど人口急増時代に開発された郊外都市の人口が減り始めているように、最早、膨張した都市をそのままの状態で維持することは社会的にも財政的にも困難になりつつあります。
 そこで、都市の規模を縮小して都心に集約して維持しようというのがコンパクトシティの発想で、そのための輸送手段として路面電車が注目されているということです。

 富山市は移動の70%以上が自動車に依存し、県庁所在地としては全国で2番目に世帯あたりのガソリン消費が多い都市のため、コンパクトシティを市の戦略として打ち出しており、その手段としてLRTを活用する構想です。
 最初にご紹介した富山市の路面電車が環状線になったのは、その一環ですが、富山市では4年前に、その第一歩が始まっています。
 富山駅の北側を起点として8kmほど先の富山港までJR西日本が運営する富山港線という鉄道が走っていましたが、経営不振でした。
 そこで富山市、富山県、地元財界が出資した「富山ライトレール株式会社」が事業を継続し、2006年4月29日に第三セクター方式の「富山ライトレール線」通称「ポートラム」として再出発しました。
 これは単純に経営を引き継いだのではなく、まず車両を2両連節で低床式のスマートな新型車両に変え、道路からわずかに高くした駅から直接乗ることが出来るようにし、新駅もいくつか新設して駅の間隔を平均600mくらいに縮めて便利にしました。
 さらにJR時代は1日20本の運行でしたが、66本と3倍以上に増加させ、終電も2時間近く遅くまで運行するようになりました。
 その結果、JR時代は1日3400人程度であった利用者が、2007年度には5280人、2008年度には5140人と増えるようになりました。
 現在、北陸本線を高架にする工事が進んでおり、完成すれば、富山駅の南側を走っている路面電車と直結する予定です。
 それ以外にも、岡山市、広島市、札幌市などで路線の延長の構想もあり、環境時代になって、路面電車が復権しつつあるようです。





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