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論文

 今日は日本人の学者の調査により、従来の学説を変えるような発見が進んでいるということをご紹介したいと思います。
 これまで歴史を変える発見は何度も登場しています。
 有名な例はトロイアの発掘です。
 紀元前8世紀頃の作家とされるホメロスの書いたギリシャ最古の叙事詩『イーリアス』はギリシャのアカイア人がアナトリア半島にあるトロイアを攻撃した物語ですが、これは長らく架空の神話とされていました。
 アナトリア半島とはトルコの主要部分にあたる北が黒海、南が地中海、西がエーゲ海に面した半島です。
 しかし子供の時に『イーリアス』を読んだドイツの実業家ハインリヒ・シュリーマンは史実を記録した物語だと信じ、クリミア戦争で武器の密輸をして大儲けをした資金を投入して、1870年からトロイアの発掘を続け、1873年に当時の財宝を発見し、トロイアの戦争が実際に存在したことを証明しています。

 アメリカ大陸は西欧人としてはコロンブスが最初に発見したということになっていますが、アイスランドに伝わる『サガ』という文学に、ヴァイキングのレイフ・エリクソンという人物が西暦997年に西に向かって航海し、最初、岩の国(ヘルランド)に到達しましたが、寒いので南下して木に覆われた森の国(マルクランド)に移動し、さらに海上を南下して小麦が自生するヴィンランドに到達したという記録が書かれています。
 したがってコロンブスより500年近く前にヴァイキングがアメリカ大陸に到達していたということになります。
 しかし、それは伝説に過ぎないと言われて認められませんでした。
 ところが、そのヴィンランドに相当するカナダのニューファウンドランドのランス・オー・メドーという村に定住地の遺跡があり、長らく先住民族の遺跡と考えられていましたが、調査してみると、ヴァイキングの女性の使う糸車やイングランドで作られたボタンが発見され、ヴァイキングが到達していたことが明らかになりました。
 このランス・オー・メドーはユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 最近、このような歴史を変える発見が日本人の研究者によってアナトリアで行われつつあるということを今日は紹介したいと思います。
 人類の歴史は使用していた道具の材料によって分けますが、1818年にデンマークの考古学者クリスチャン・トムセンが提案した分類が一般的で、我々も学校で習いました。
 トムセンはコペンハーゲン博物館の責任者で、発掘されて展示されている道具の材料によって、石器時代、青銅器時代、鉄器時代に分けました。
 現在では、もう少し細かく分け、80万年前の旧石器時代から紀元前1万年に新石器時代に移り、紀元前3000年くらいに青銅器時代になり、紀元前1200年、すなわち現在から3200年前くらいに鉄器時代に移ったと習ってきました。
 そして世界で最初に鉄器を開発し、当時のアナトリアに出現したのがヒッタイト帝国とされてきました。
 このような歴史は19世紀から20世紀中頃までに欧米を中心にした発掘作業の成果として作られてきました。   
 このヒッタイトはエジプトの壁画に描かれている2頭の馬に引かせる軽戦車と、秘密に製造していた鉄を使った武器によって、当時の中東の世界を制覇していたと考えられていました。
 これはヒッタイト帝国の都のあったボアズキョイから出土した粘土板の「ボアズキョイ文書」に書かれていた記録によるものです。

 ところが三笠宮崇仁(たかひと)親王が総裁をしておられた「中近東文化セ
ンター」に付属する「アナトリア考古学研究所」の大村幸弘(さちひろ)所長を中心に、1986年からアナトリア半島の中央の高原地帯にある「カマン・カレホユック」という場所の遺跡の発掘をしてきたところ、どうも違うぞということになったのです。
 遺跡は表土から下に向かって発掘していくのですが、オスマントルコ時代、ビザンツ時代、ローマ時代、ヘレニズム時代と遺跡が現れ、その下の紀元前1200年、現在から3200年ほど前のヒッタイト帝国時代の地層からは従来の説の通り鉄器が出土してきました。
 ところがさらに掘り進んで、ヒッタイト帝国時代から1000年以上も古い、現在から4300年から4400年前の、従来は青銅器時代の初期とされる地層からも分銅の形をした鉄製品が出土してきたのです。
 これは分析してみると、隕石などの鉄を使用したのではなく、人工的に作った鉄だということがわかりました。
 ということは、従来の欧米の学者が整理していた3200年前に鉄器時代が始まったという説より1000年以上遡って製鉄が行われていたことを意味します。
 これまではヒッタイト帝国が秘密に鉄を作ってアナトリアを中心とした地域を支配していたというのが通説でしたが、その帝国の出現よりも1000年近く前から鉄は作られていたということになります。

 さらなる新発見は新しく鉄が発見された地層の一段下の地層からは丸太を基礎にして泥壁を積み上げた建物の遺跡が発掘されましたが、その下の4400年前の地層には大規模な火災のあったことを示す層が出てきました。
 このような丸太を使う建物はトルコの北側のコーカサス地方の特徴なので、そこから侵入してきたインド・ヨーロッパ語族が攻め込んできたと同時に製鉄技術ももたらしたのではないかと推察されます。
 現在、発掘が進行中なので確定的とは言えませんが、これまでヨーロッパ中心に組み立てられた世界の歴史が、日本人の30年以上の地道な発掘作業によって大きく修正されるという画期的なことになりそうです。
 この最新の状況については来週の月曜日3月25日に学習院創立百周年記念会館でアナトリア考古学研究所主催の「2018年度トルコ調査報告会」が開かれ、30年以上にわたり現地で発掘をしてこられた大村幸弘所長によって詳細に紹介されますので、ご興味のある方は聴講されてはいかがかと思います。





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