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論文

 毎年、国際連合や国際的な組織が「国際○○年」という名前を付けて、世界の人々に関心を持ってほしい対象を設定しています。
 最近では「国際淡水年」「国際コメ年」「国際ジャガイモ年」などがあり、この番組でも紹介してきましたが、今年は国際連合、ユネスコ、国際天文学連合が共同で定めた「世界天文年」となっており、新年から新聞などで話題として取り上げられています。
 なぜ今年が「世界天文年」に指定されたかというと、400年前の1609年にガリレオ・ガリレイが世界で初めて望遠鏡を使って星空を観察したからです。

 そこで今日は、そのガリレオが星空を観測した望遠鏡の複製を持ってきました。
 これは学研から発売されている『大人の科学マガジン』の第19号の付録を組立てたものです。
 当時、レンズを組合わせて望遠鏡や顕微鏡などの光学器械を作る分野ではオランダが先んじており、1608年にオランダで望遠鏡の特許が申請されたという記録がありますが、ガリレオはオランダの情報を知り、翌年に望遠鏡を制作したわけです。
 実物はイタリアのフィレンツェの科学史博物館に保存されていますが、第1号機は対物レンズの直径51mm、倍率14倍、第2号機は対物レンズの直径37mm、倍率21倍で、どちらも木製の筒で作られています。
 この複製は第2号機を筒の長さだけを3分の2に縮小して再現したものですが、覗いていただくと分かるように、視野が本当に狭く、このような装置で様々な発見をしたことに驚きます。

 この望遠鏡によるガリレオの主要な発見は、まず月面が地球と同じように凹凸があることを発見したことです。それまで月は滑らかな完全な球であると考えられていましたが、ガリレオは凹凸のある月面のスケッチを残し、その影の長さから月面の山の高さも計算しています。
 また、太陽の表面に多くの黒点があり、移動していることも発見しました。太陽も当時は無傷の完全な存在と考えられていたのですが、そうではないということを発見してしまったのです。
 さらに、現在ではガリレオ衛星と名付けられている木星の4個の衛星を観察し、それらが木星の周りを回転していることを発見しました。

 これらはガリレオの名前を後世に残す大発見ですが、ある意味では不幸をもたらしました。
 まず、望遠鏡で太陽を観察しすぎたために、74歳になった1638年に失明し、最後の4年間は不自由な暮らしをせざるを得なかったのですが、さらに事件に巻き込まれ不自由な事態になってしまいます。
 木星の周りを衛星が回っているということは、当時の常識であった天動説が間違っているということを意味しますから、ニコラウス・コペルニクスが唱えていた地動説を確信するようになりますが、当時、地動説を唱えることは危険な行動でした。
 地動説を支持したイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノは1592年に逮捕され、8年間、獄中に閉じ込められたうえ、1600年にローマ法王庁の宗教裁判で有罪とされますが、自説を撤回しなかったので、ローマ市内の広場で火あぶりの刑になっています。
 また、コペルニクが亡くなる1543年に出版した『天体の回転について』という地動説を詳細に解説した本は、1616年に禁書にするとの布告がローマ法王庁から出されていました。
 しかし、既存の学説に次々と疑問を呈してきたガリレオは、地動説を発表する気持ちを抑えがたく、1630年にローマ法王庁の図書検閲係に出版許可を得るために論文を提出します。
 その結果、地動説を仮説として述べるのであれば出版してよいという許可を得て、1632年に『天文対話』という本を出版します。
 これは地動説派、天動説派、中立という3人の学者が、それぞれの立場から仮説を述べるという形式でコペルニクスの考えも紹介する内容でした。

 ところが天動説を主張するのが頭の単純な人を意味するシンプリチオという名前であるうえに、それはローマ法王ウルバヌス8世のことだと告げ口した人がいたようで、激怒したローマ法王の怒りをかったのではないかと言われていますが、翌年の1633年になって、宗教裁判に出頭を命ぜられ、地動説は真理ではないという宣誓文を書かされたうえ、死ぬまで監視付きの住宅に軟禁されます。
 2005年8月に郵政民営化法案が参議院で否決されたとき、小泉首相が記者会見で引用した「それでも地球は動く」というガリレオの言葉は、この裁判の直後につぶやいたと言われています。
 しかし、ガリレオは不屈の意志で、謹慎中の1638年に『新科学対話』を書き、ローマ法王庁の権限が及ばないオランダで出版します
 このように反抗的であったために、ローマ法王庁の処分は長引き、『天文対話』は1822年まで禁書目録に掲載され、ガリレオの正式の許可に基づく埋葬は死後95年が経過した1737年まで行われませんでした。

 しかし、20世紀になってローマ法王庁が出版を一旦許可しながら有罪にした経緯などが調べられるようになり、1965年にローマ教皇パウロ6世が見直しを命じ、1992年にヨハネ・パウロ2世が裁判に誤りがあったことを認めてガリレオに謝罪します。
 そして昨年12月21日にベネディクト16世が「お告げの祈り」の中で世界天文年2009に言及し、「この行事はガリレオ・ガリレイが望遠鏡によって最初に天体観測を行ってから400周年を記念するものです」と業績を称えています。

 それはともかく、今年は7月22日に南西諸島の一部で皆既日食、東京でも75%が隠れる部分日蝕が見られますし、様々な流星群を観察することもできます。
 そしてガリレオが使ったのと同じ口径の望遠鏡も1500円程度で販売されていますので、ガリレオの苦難の人生に思いを馳せながら夜空を眺められたら良いのではないかと思います。





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