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論文

 現在、日本の地図の元締めである国土地理院が日本地図の位置情報を改定することを検討しています。
 不動の大地という言葉があるように、陸地は動かないものという観念がありますが、実際は場所によって、これまで発表されている日本地図の位置より数10センチメートルから2メートルほどズレている場所があることが分かり、それを補正するということです。
 その修正に利用されるのが、昨年11月から本格稼働している日本の「みちびき」という人工衛星です。
 日本で利用されている位置情報を提供する人工衛星はアメリカのGPSですが、これには数メートル単位の誤差があります。
 それくらい問題ないと思われるかもしれませんが、既存の地図を利用して走る自動運転車は数メートルも誤差があれば、反対車線を走行しないとも限りません。
 またスマート農業も田植えを自動ですることを検討していますが、日本の狭い農地では、数メートルも誤差があれば、畦道に田植えをしかねません。
 そこで「みちびき」の情報でGPSの情報を補正すると数センチメートルの誤差になるので、それを利用して地図を改定しようということです。

 実は大地が動くという考えは、ほんの100年くらい前に言い出されたことです。
 南米大陸の東海岸の凸型の海岸線とアフリカ大陸の西海岸の凹型の海岸線は、ぴったり一致するほど似ています。
 これはすでに16世紀末から何人かの学者が指摘していたことですが、ドイツの気象学者アルフレート・ウェゲナーが、地形だけではなく、地質や古生物の化石などが両大陸で共通しているなどの証拠を示し、1912年に、かつて地球には陸地が全て一体になったパンゲアという巨大な大陸が存在し、それが分離して現在の地形になったという「大陸移動説」を発表し、1915年に『大陸と海洋の起源』という本にしました。
 ウェゲナーが地質学者ではなく気象学者であったこともあり、学会では否定され、1930年にウェゲナーがグリーンランドで調査中に心臓発作でなくなったこともあって無視されたままで、ようやく戦後の1950年代以後に認められるようになり、現在では陸地が動くということは常識になっています。

 科学の歴史の中には、それまでの学説とあまりにも違うので一般社会だけではなく、学会も受け入れるのに時間がかかった学説はいくつもあります。
 世界的に有名な例は「進化論」です。
 イギリスの生物学者チャールズ・ダーウィンが調査船ビーグル号に乗船し、6年間かけて世界一周航海をしたとき、世界各地で動物や植物を調査した結果、生物は環境の変化に対応して変化した種が生き残って発展するという「自然淘汰説」を1859年に『種の起源』という本で発表しました。
 この内容が「進化論」と言われる学説ですが、様々な反対が発生しました。
 とりわけ人間は神が創造したと考える宗教界では猛烈な反対が発生し、現在でもアメリカでは進化論を信じると答えた人は40%程度しかいないという結果さえ出ています。
 イスラム教も進化論を否定し、点数を獲得すると姿や形を変える「ポケットモンスター」もゲームや関連グッズの販売が規制されている国もあるほどです。
 「進化論」は仮説であり、絶対というわけではないということです。

 日本でもなかなか受け入れられなかった発見があります。
 明治時代に日本は日清戦争と日露戦争を戦い、日清戦争では24万人、日露戦争では30万人の兵士が動員されました。
 日清戦争では戦闘で死亡した兵士は1400人くらいでしたが、病気で死亡した兵士が1万5000人近くになり、日露戦争でも戦闘では8万8000人以上が亡くなりましたが、病気で死亡した兵士が2万7000人以上になりました。
 この病気の大半が「脚気」だったのですが、当時、脚気は子供や老人よりも若者に患者が多いこと、粗食の貧しい人々よりも栄養のある食事を摂っている富裕層に患者が多いなどという現象があり、原因が分からず、脚気菌という病原菌が原因ではないかと推測されていました。
 ところが、海軍では士官には脚気が少なく、下士官以下に多いために、原因を調査したところ、下士官以下の食事にタンパク質が不足していることが分かり、食事を改善し、西洋風の副食と白米の御飯を麦飯にしたところ、一気に脚気が減少しました。      

 一方、陸軍は海軍の改革に否定的でしたが、日露戦争の開戦から3ヶ月ほど経過した1904年5月頃から脚気に罹る兵士が急増し、麦飯が提供され始めますが、依然として副食は貧弱であり、戦地で入院した兵士の脚気の比率は44%にもなり、多数が死亡しました。
 そこで日露戦争の終結後の1908年、陸軍省医務局長であった森林太郎(森鴎外)を会長にして原因を究明する調査会が開かれますが、その調査会が続いている1910年に東京帝国大学農科大学教授の鈴木梅太郎が、ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気のような症状になる一方、ヌカとムギと玄米で飼育すると脚気の症状が出ないことを発見し、その成分をオリザニンと名付けました。

 それでも脚気が脚気菌による伝染病という意見が日本では根強く、問題は簡単には解決せず、2年後の1912年にポーランドのカジミール・フンクがオリザニンとほぼ同じビタミンの欠乏が原因だということを発表し、その影響で日本の学会も病原菌ではなくビタミンの欠乏が脚気の原因だということに落ち着きました。
 欧米で発見されると納得するという現在に続く日本の文化が脚気の解決を遅らせたことになるのですが、もう一つ、鈴木梅太郎が農学部教授であったため、医学部が冷淡だったという説もあります。

 科学の結論が正しいかどうかの判断は簡単なようですが、今日紹介した3つの例以外にも、なかなか社会に受け入れられなかった学説は多数存在し、従来の常識を覆すような新しい発見や学説が社会に定着するのは容易ではないことが分かります。





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