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論文

 現在、第168回臨時国会が開催されていますが、最初はいつ開催されたかというと明治23(1890)年11月29日、すなわち、117年前の今日、第1回の帝国議会が開催されています。
 そこで戦前の帝国議会、戦後の国会に関係する興味深い話を紹介してみたいと思います。

 議会が開催されるためには議員が必要ですが、その第1回衆議院議員総選挙は明治23年7月1日に行われています。
 当時の選挙法では、有権者は直接国税を15円以上納めている満25歳以上の男子に限られており、全国で45万人程度しかおらず国民の1・1%でした。
 15円というのはどの程度かというと、当時の大工さんの日当が全国平均で27銭、一年に換算して65円、東京の大工さんは120円、製糸場で働く女工さんが、食費や住居費は不要でしたが、手取りで一年に最高23円、巡査の初任給が年換算で100円程度でしたから、如何に多額かが分かると思います。

 議員の被選挙権は同様の納税をしている満30歳以上の男子で定数は300名でしたが、最高得票は4548票、当選した議員の最小得票はわずか23票でした。
 投票用紙には住所、氏名を記載し、捺印も必要というものものしい投票でした。
 明治の自由民権運動の指導者であった中江兆民は、この選挙で当選していますが「衆議院議員を選挙する権利のある者、すなわち直接国税15円以上納める者のみ日本国民にて、その他は日本国民にあらざるなり」と書き残しています。

 そこで何度も改正され、明治33(1900)年に国税の条件が10円に下げられ、有権者は人口の2・2%に、さらに大正8(1919)年に3円に下げられ人口の5・4%に、そして大正14(1925)年に納税の条件は撤廃され、貧困のために公私の援助を受けている者を除いて、25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられ、有権者は一気に総人口の20・1%になりました。

 しかし、女性には選挙権がなく、大正末期から婦人参政権獲得運動が行われていましたが、実現したのは戦後の昭和20(1945)年のことで、同時に選挙権の年齢が25歳から20歳に、被選挙権も30歳から25歳に引き下げられ、国民の51・2%が有権者という現在の状態になりました。

 現在、国会や国会議員を巡る様々な問題が噴出していますが、117年の間に帝国議会が92回、戦後の国会が168回、合計して260回も開かれてきましたので、大抵の問題は以前に登場しています。
 現在の臨時国会は当初11月10日に閉会予定でしたが、12月15日まで延長され、さらに再延長の議論もありますし、通年国会という噂さえあります。
 国会を一日開催すると最低3億円はかかると言われていますから、納税者としては勘弁して欲しいところですが、過去にも会期延長が問題になった国会があります。
 昭和29(1954)年に開催された第19回国会のときには、保全経済会事件や造船疑獄事件などが国会で取り上げられ、国会議員に逮捕者が出るほどの騒ぎになりました。
 しかし、防衛庁設置法や自衛隊法などの重要法案を通すために会期が3度延長され、さらに4度目の延長を強行しようとしたため、反対の女性議員が議長席を占拠するなど、最近も見かけたことのあるような状態になりました。
 結局、5回の会期延長をして警察法改正案を可決して150日間の国会が終了するのですが、最後に「議院の神聖と品位を傷つけ、国民の期待に背いた」として「議院の威信保持に関する決議」を行っています。

 その会期延長の原因となった贈収賄事件も何度も国会での紛争に発展していますが、現在の防衛省の受発注に関係する問題と良く似た大事件は大正3(1914)年の第31回帝国議会で紛糾したシーメンス事件です。
 ドイツのシーメンス・シュッケルト電気機械会社の東京支店を解雇されたドイツ人社員が秘密書類を盗み出して会社を恐喝したのですが、そのドイツでの裁判で日本海軍将校に兵器の発注に関係して贈賄したことを証言し、日本国内の政治問題になりました。
 そこで政府が査問委員会を設けて取調べをおこなったところ、さらに、イギリスのヴィッカース社からも三井物産を介して日本海軍の高官が賄賂を受けとっていたことが発覚し、大正3年度予算案は不成立となり、山本権兵衛内閣は退陣することになりました。

 今年10月には沖縄での集団自決への日本軍の関与について文部科学省の高等学校歴史教科書検定が問題になりましたが、同じようなことが明治43(1910)年12月から始まった第27回議会でも問題になっています。
 これは明治36年度の国定教科書「尋常小学歴史教科書」が、元弘年間の南北朝を並立して記述していることを読売新聞社説が問題とし、それを材料に議会に質問書が提出されました。
 この処理に苦慮した政府は教科書の改訂を条件に、提出した議員に質問書の撤回を求め、議員は議会において撤回理由を述べて辞職したのですが、その裏面工作がさらに社会問題になりました。最終的には南朝を正統とすると決定して教科書を改訂して一段落となりましたが、今回の問題と似たような事件でした。

 このように調べてみると、人間の社会は同じようなことを繰返しているような気がしないでもありませんが、ぜひ温故知新で過去を研究して前進して欲しいと思います。





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