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論文

 南の方から次第に梅雨明け宣言がなされ、これから暑くなりますが、京都議定書の目標を達成するため、冷房はそれほど温度を下げないようにと推奨されています。
 そこであまりエネルギーを消費しない涼しい過ごし方として、お化け屋敷に行ってゾーとしたらどうかという冗談も言われています。
 お化け屋敷というと、必ず使われるのが幽霊で、四谷怪談のお岩さんや、番町皿屋敷のお菊さんが主人公として登場します。
 そこで今日は幽霊について色々な話をご紹介したいと思いますが、その理由は今日が「幽霊の日」だからです。
 これは四代目鶴屋南北の名作『東海道(あずまかいどう)四谷怪談』が、今から180年ほど前の文政8(1825)年の今日、江戸の芝居小屋・中村屋で初演されたということを記念したものです。

 『東海道四谷怪談』は夏の芝居の当たり狂言としてだけではなく、映画として何度も制作されていますので、粗筋はご存知の方が多いと思います。
 ごく簡単に紹介させていただきますと、主人公のお岩さんは浪人の夫、民谷伊右衛門(たみやいえもん)が父の敵とは知らず、貞淑に仕えていたのですが、伊右衛門が金に目がくらんで良家の娘お梅と二重結婚をし、しかも毒薬を飲まされて醜い顔に変わってしまい、狂い死にをします。
 そこで幽霊となって伊右衛門とお梅の祝言の床に出たところ、退治しようと伊右衛門が振り回した刀でお梅は切られてしまいます。
 それ以後も夜毎、伊右衛門を苦しめ、最後は蛇山庵室(へびやまあんじつ)でお岩さんの妹の夫が伊右衛門を殺し、自分の恨みと父の仇を討つという物語です。

 最近のように、家庭内暴力(DV)が盛んで、妻が夫を殺害する事件が頻発している時代では、珍しくはないかも知れませんが、これは江戸時代のいくつかの実話を下敷きにしたという説もある恐ろしい話です。
 したがって、歌舞伎で演ずるときは、東京の四谷にあるお岩さんの霊を祀る「於岩稲荷」に参詣し、楽屋にも分霊を祭り、役の名は「お岩様」と呼んでたたりを恐れるということです。
 僕もここまでお岩さんと呼んで、呼び捨てにしていないのは、そのためです。

 そこで幽霊についての第一は、日本には近い言葉として「お化け」と「妖怪」がありますが、それらの違いはどこにあるかについてです。
 これについては民俗学者の柳田国男が1930年に発表した『妖怪談義』で明快に説明しています。
 それによれば、「お化け」も「幽霊」も人間が死んで、その霊だけが現世に残ったものですから、人の姿をしていますが、「お化け」は特定の場所に付くもので、「幽霊」は特定の人に付くものだというわけです。
 日本三大幽霊といわれる『四谷怪談』のお岩さん、『番町皿屋敷』のお菊さん、『牡丹灯籠』のお露さんも、その分類からすれば、いずれも特定の恨みのある人に取り憑く「幽霊」ということになります。

 一方、ラフカディオ・ハーンの『怪談』に登場する「雪女」は「お化け」に属しますが、そのような「お化け」を見てみたいと思われる方は『津々浦々「お化け」生息マップ』(技術評論社 2005)という、全国のお化けの登場場所を紹介した本もありますので参考にしてください。

 それでは「妖怪」とは何かというと、たまに動物や植物が人間以外の形をして現れる架空の生き物もので、河童や天狗を筆頭に、ゲゲゲの鬼太郎をはじめとする水木しげるさんが描く妖怪が有名です。

 第二は、日本の幽霊には足がないのはなぜかということです。普通には江戸時代の画家・円山応挙が描いた有名な「幽霊図」に足が描かれておらず、この絵の影響だと言われていますが、それ以前の「花山院きさきあらそい」という浄瑠璃本の挿絵に足のない幽霊が描かれているそうです。
 しかし、円山応挙の絵は、すでに江戸時代から有名であったようで、それ以後の画家が、それを参考にしたために、足が消えたということのようです。
 これを打ち破ったのが江戸末期から明治初期にかけて活躍した三遊亭円朝の創作した落語の『怪談牡丹灯籠』のお露さんで、カランコロンという下駄の足音とともに現れてきますから、足はあるということになります。
 また伝統芸能の「能」には、「安達原」「松風」「殺生石(せっしょうせき)」など、幽霊が登場する演目は数多くありますが、すべて足があります。

 東洋大学(哲学館)を創設した哲学者の井上円了は妖怪博士といわれるほど妖怪を研究したことでも有名ですが、これは世間の迷信を打破することを目指したもので「世間の妖怪談の中には、人の故意に作られるもの多ければ、いかに不思議らしく見えても、ことごとく信ずることはできませぬ」という言葉を残しています。

 しかし、僕は実際に妖怪を体験したことがあるので、最後に紹介させていただきたいと思います。
 僕は毎年、山形県の出羽三山で修験道の修行のまねごとをしているのですが、ある年、修行を終えて宿屋で寝ていたところ、枕元を何かが通っていく気配がしたので、泥棒かと思って何とか起きようとしたのですが、金縛りにあって身動きができませんでした。
 そのまま朝になって起きたところ、枕元に置いておいた眼鏡が見当たらないので、宿屋の中を探したところ、別の階に眼鏡が置いてありました。
 いたずらする人の心当たりもなく、部屋の中に置いてあった金銭も盗られていないので、出羽三山の天狗がいたずらしたのではないかというのが、地元の人々の解釈でした。

 『脳の中の幽霊』という本によれば、人間の脳が創り出す意識、クオリアが影響して幽霊のような現象を出現させるということですし、例えば暗闇を通るときの恐怖心が錯覚としての幽霊を創り出すという説明も多いのですが、この出羽三山での経験から、少なくとも妖怪は存在すると信じています。





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