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論文

 1日ずれてしまいましたが、昨日5月16日は「旅の日」でした。これは今から320年ほど前の1689(元禄2)年3月27日、新暦に換算すると5月16日に、松尾芭蕉が江戸の隅田川沿いの深川から「おくのほそ道」の旅行に出発した日の300周年に当たる1988年に、日本旅のペンクラブという団体が制定した記念日です。
 そして今日17日は「パック旅行の日」となっており、イギリスの旅行業者トーマス・クック社が労働者階級を対象にした、ロンドンからパリまでの団体旅行を1861年の今日、行ったということになっています。
 そこで今日は団体で旅行するという仕組を考えたトーマス・クックという人物について紹介させていただこうと思います。

 団体旅行が旅行全体に占める比率については統計が見当たらないのですが、平成12年度に福岡空港の利用者を対象に行われたアンケート調査の結果を見てみると、日本人の観光目的の旅行の場合、団体旅行が20%になっていますし、外国人の場合は67%、3分の2が団体旅行です。おそらく、日本人でも外国への観光旅行だと、団体旅行の比率はさらに増えると思います。
 この多くの人が頼りにしている団体旅行は、すでに中世にエルサレムに巡礼する信者を相手にベネチア共和国の商人が斡旋をしていたという歴史がありますが、ホテルや乗物の予約代行、団体列車を利用するという現代のような団体旅行を最初に始めたのがトーマス・クックというイギリス人です。

 彼は1808年にイギリスの中部に生まれたのですが、家が貧しかったため小学校を中退して徒弟になります。最初は園芸家、次に家具師、さらに印刷屋に奉公しますが、最初の2人の親方が大酒飲みで苦労したため、25歳のときに断酒の宣誓し、当時、イギリス全体に吹き荒れていた禁酒運動に参加します。
 それが団体旅行と関係あるのですが、1841年、クックは禁酒運動の会合に出席するために22キロメートルの距離を片道5時間近くかけて歩いて参加していたのですが、ふと2年前に開通していた鉄道を使うことを想い付いたのです。
 2年前から鉄道が開通していれば、最初から使えば良いのではないかと思われるかも知れませんが、当時の鉄道運賃は高くて、一般の人々にはなかなか乗れなかったのです。
 そこで鉄道会社と掛け合って、半額で往復できる臨時列車を運行してもらい、1841年に史上最初の日帰り団体旅行を成功させました。
 その後、飲酒に代わる健全な娯楽を提供するという気持から団体旅行を企画しますが、禁酒運動を広めるということが目的だったため、ボランティアとして運営していました。
 最初は近郊への日帰り旅行だけだったのですが、1845年に150キロメートル離れたリバプールまでの宿泊旅行を企画し、初めてオプショナルツアーも行い、5%の手数料を取るビジネスを始めます。

 大変に律儀な人で、団体旅行の行き先には自分で2回は出掛けて、名所旧跡が訪れる価値があるか、適切な値段のホテルやレストランはあるかを確かめたそうです。
 その結果、予約は1週間前に完売、その切符が倍の値段で取引させるほどの大人気になりました。
 また、アイデアの豊かな人で、その旅行のために詳細な案内書を発行しています。
 当時すでに「ベデカ」などの一般の旅行案内書はあったのですが、個別の旅行の案内書としては最初です。また、労働者階級の人々が毎月積み立てて旅行に参加する仕組を作り、1851年には旅行雑誌『エクスカーショニスト』を発刊、73年には「トーマス・クック・ヨーロッパ時刻表」を発刊、74年には「トラベラーズチェック」を取り扱うなど、現在の旅行に必要な手段の大半を一人で考え出しました。

 このトーマス・クック社が大活躍し、世間に名前が広がったのが、1851年にロンドンで開催された「The Great Exhibition」、世界最初の万国博覧会です。
 ミッドランド鉄道の社長と会場のクリスタル・パレスを設計したジョセフ・パクストンに集客を依頼され、5ヶ月間の会期中に600万9948人が訪れた観客の2・7%に相当する16万5000人をイギリス中部から団体旅行で送り込みました。
 旅行情報は溢れ、予約はインターネットで可能になり、多くの場所が安全に移動できるようになった現在では、トーマス・クックが実現した偉業の恩恵は忘れられがちですが、このパック旅行の日に、女性が一人でも安価に、言葉ができなくても安全に海外旅行できる団体旅行の原点を作ったトーマス・クックを偲んでいただいたらと思います。





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