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論文

 4月になり、多くの若い方々が会社に入社したり、学校に入学したりされていると思います。その入社式や入学式で社長や学長から挨拶がありますが、時々使われるのが有名な「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉です。
 これは北海道に明治2(1869)年に設置された「開拓使」の黒田清隆長官の強い依頼で、明治9(1876)年7月に札幌農学校の教頭として赴任したウィリアム・スミス・クラークの言葉とされています。
 クラークはアメリカ東部のマサチュセッツ農科大学の現役の学長であったため、休暇を取って、往復の日数も含めて1年間の赴任をするという約束でしたので、8ヶ月半の滞在で、翌年明治10(1877)年4月に札幌を離れることになります。
 4月16日(月曜日)に、学生や教授全員が開拓使旧本陣前に集合し、馬に乗って記念写真を撮影してから、約20キロメートル離れた島松村という場所まで2時間かけて出かけ、そこにある島松駅逓所で一緒に昼食をとり、最後の別れになります。
 そのときの様子を札幌農学校の第一回卒業生でクラークの教え子である大島正健が、約50年後に次のように書いています。
 「先生は進み出て、私たち一人一人と握手をされた。私たちは誰も顔をあげることができなかった。先生は再び馬上の人となり、手綱を片手に、鞭を他の手にして私たちの方に振り向き「青年よ、この老人の如く大志を抱け」と叫ぶなり、鞭を馬の腹に当て、さっとばかり行ってしまわれた」というわけです。

 なぜ、このような話を紹介させていただくかというと、来週の月曜日の4月16日が「ボーイズ・ビー・アンビシャス・デー」になっているからです。
 しかも今年は島松の別れから130周年記念の年でもあり、4月16日12時30分から島松村のあった現在の北広島市と恵庭市が共同で「クラーク博士さよなら130周年フェスタ」を開催し、昭和26年に建造されたクラーク博士記念碑の前から1キロメートルほど、騎馬による仮装行列が行うそうですから、お近くの方は見物に行かれたらと思います。

 この「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉は一般には「青年よ、大志を抱け」と訳されていますが、様々な解釈があり、確定したものがありません。
 例えば、島松にあるクラーク博士記念碑には英語とともに、「青年よ大志を懐け」と記されていますが、これはそれほど重い言葉ではなく、「君たち達者でな!」という程度の軽い挨拶の言葉だという説もあります。
 先に紹介した大島正健が別のところに書いた別れの様子は、クラークが「どうか一枚の端書でよいから時折消息を頼む。常に祈ることを忘れないように。ではいよいよお別れじゃ、元気に暮らせよ」と言って生徒一人一人と握手をしてから馬に乗り、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と叫んで林の彼方に消えて行ったということですから、意外と軽い挨拶説は正解かも知れません。
 それ以外にも「青年よ、人間として当然なすべきことをすべて達成せんと望め」とか「青年よ、金、利己、はかなき名声を求むるの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱け」が本当の言葉だったと言う説もあります。
 そしてクラークの詳細な伝記であるジョン・M・マキの「クラーク:その栄光と挫折」(1978 北大図書刊行会)の最後は以下の言葉で締めくくってあります。
 「結局のところ、日本人学生と別れる際に彼が残した最後の言葉というのは、本当は「青年よ、この老人の如く野心を持て」と考えるのが至当であろう」

 聞きようによっては皮肉っぽい表現ですが、これには背景があります。クラークはアメリカに帰国してからマサチュセッツ農科大学の学長を辞め、新しい大学の開学を企画しますが失敗し、さらに知人と鉱山会社を設立して開発をしますが破産してしまう、なかなか野心のある人物だったというわけです。

 クラークのように海外から明治時代に日本に指導に来た外国人のことを「御雇い外国人」と言います。記録を調べてみると、政府が約6200人、民間が約1万2500人も雇っています。
 この中には大物も多く、クラークも現役の大学学長でしたが、同じく黒田清隆長官の懇請で開拓使の顧問となったホーレス・ケプロンは将軍でかつ現役の農務長官を辞任して、67歳の高齢で北海道の開拓の指導に来ています。
 この理由も諸説ありますが、当時のグラント大統領がケプロン長官を辞めさせたかったので、日本政府に推薦したという説もありますし、大変な高額の報酬に惹かれて赴任したという説もあります。
 ちなみにケプロンの年俸は1万円、クラークは7200円でしたが、その時期の総理大臣に相当する太政大臣が9600円、黒田長官が4200円でしたから、金の魅力という理由も当たっているかも知れません。

 仮に金の魅力にしても、多くの御雇い外国人が日本の近代化のために与えてくれた恩恵は得難いものであり、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」もあまり皮肉っぽく理解せず、日本人が失いつつある挑戦心を奮い立たせる言葉として理解したらいいと思います。





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