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論文

 最近、大型客船によるクルージングが流行しているということなので、その実態を調査してみようと、現在は日本が誇る大型客船「飛鳥2」に乗り込んでいます。
 4月3日(火)午後に横浜港を出航し、昨日の午後に神戸港に到着して再び出発し、現在、シンガポールに向けて太平洋の西の端を航海中というところです。
 今回は世界一周の航海で、全行程を乗船すると100日間の旅行ですが、とてもお金が続きませんし、番組にもご迷惑をおかけしますので、シンガポールまで9日間ほど乗船しています。
 この大型客船によるクルーズは大変に人気があるという数字をいくつか紹介させていただきます。
 外国へのクルーズ人数を調べると、日本は1995年の7万5000人程から2000年には13万人に増えましたが、アメリカの9・11ショックやSARSの影響などもあり、2004年には7万3300人程度に減り、長期的に見ると横ばいです。
 しかし、アメリカでは同じ期間に400万人から1000万人に増えていますし、そのような傾向を反映して、客船は次第に大型になり、この「飛鳥2」は日本最大で約5万トンですが、アメリカでは16万トンという巨大な客船も来年には進水する予定で、2000年から2010年までに世界では約100隻の新型客船が就航する見通しです。

 ただし、日本も増大するのではないかといういくつかの根拠があります。
 アメリカでは外国へ旅行する人の15%、イギリスでは16%が船旅ですが、日本はまだ1%です。したがって、日本もその方向に向かうとすれば、相当の伸びが期待できるというわけです。
 そして話題の団塊世代が定年で自由になりはじめ、それらの人々も有望な利用者になるのではないかという皮算用があるということです。

 今回は船の中から電話でお話しさせて頂いており、大変に便利ですが、この船と通信の関係には興味深い歴史がありますので、いくつかご紹介させていただこうと思います。
 現在、この電話はインマルサットという通信用の静止衛星を利用しています。これは1979年から始まったサービスですが、TBSラジオからの電話は山口県にあるKDDI山口衛星通信センターを経由して通信衛星に電波が送られ、この「飛鳥2」に降りて来るという仕組です。
 このような便利な通信サービスが登場する以前は、無線によるモールス信号などで情報のやり取りが行われていました。
 この無線通信を実用にしたのはグリエルモ・マルコーニですが、1899年にドーバー海峡を横断するイギリスとフランスの間で無線通信を成功させ、1901年には大西洋を横断する無線通信を成功させています。

 この無線通信の威力を劇的に世界に知らせた出来事があります。1910年7月にアメリカの医者ホーレイ・ハーベイ・クリッペンが夫人を殺害して秘書で愛人のエセル・ル・ネーブとオランダのアントワープの港から汽船モントローズ号に乗ってカナダのモントリオールに向かって逃亡しました。
 当時の常識では、これで完全に高飛び成功だったのです。ところがスコットランドヤードのウォルター・デュー警部が無線で大西洋を航海しているあらゆる汽船に連絡したところ、ある船から犯人が乗船しているという連絡があり、高速船で汽船の到着するモントリオール港に先回りし、そこで2人は御用になってしまいました。
 これにはおまけがあり、警部と汽船の間の通信は、すべて新聞社などが傍受していたため、新聞に逐一報道され、世界に知れ渡る有名事件になりました。

 もう一つの例が、映画で有名になったタイタニック号の事件です。氷山に衝突したタイタニック号はSOSのモールス信号「・・・ーーー・・・」を発信します。それを受信したのが、アメリカの沿岸無線基地で働いていたデビッド・サーノフでした。
 彼は後にアメリカの放送会社RCAの社長になる人ですが、3日3晩、不眠不休でタイタニック号と交信し、付近を通行する船にも連絡し、救助活動を支援しました。実は、このときSOSについて興味深い場面が映画に出てきます。
 ジェームズ・キャメロン監督は細部まで念入りに仕上げており、救命胴衣も当時のままのものを製造して撮影に使っていますし、言葉も1912年当時のアクセントを再現し、3等船客のジャックと上流階級のローズは育ちの違いを示す微妙に違う言葉を使っています。
 そして氷山に衝突したとき、船長が無線室の通信士に命令したのは「CQD」を打電しろという言葉でした。通信士が「CQDですか?」と聞き返すと、「そうだ。遭難信号だ」と言います。「SOS」ではないのです。
 実は1908年まで、遭難信号は「Call to Quarters,Distress(周囲の無線局へ、遭難)」の頭文字を取った「CQD」だったのですが、モールス信号にすると「ー・ー・ ーー・ー ー・・」で分かりにくく、SOSのほうが単純であるという理由で、1908年からはSOSを使うことになっていたのです。
 これは「Save Our Ship(我らの船を助けてくれ)」の略だと説明されますが、正式にはドイツが使っていた信号で、単純で誰でも打電できるということで決められたのです。
 しかし、イギリスではしばらく両方が使われていました。船長は年配ですからCQDに慣れており、若い通信士はSOSで訓練を受けているので、このような場面が登場するわけです。
 このようにタイタニックを見ると、恋愛映画以上の奥深さがありますが、この船がSOSを発信しないことを祈りながら、もうしばらく航海させていただきます。





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