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論文

 今年はついに本格的な冬が訪れないまま春になってしまいましたが、この春を象徴する文字は草冠に明るいと書く「萌」だと思います。
 この字は草木の芽が出るという意味で、すでに万葉集にも「春は萌え/夏は緑に紅の綵色(しみいろ)に見ゆる秋の山かも」という歌があるほど、古くから使われています。
 一時、この文字が流行したことがありました。明治安田生命が毎年、新生児に付けられた名前の順位の統計を発表していますが、「萌」が1993年に突然5位に登場し、94年に3位、96年に4位、97年に4位、そしてついに98年は1位に躍進し、それ以後も2位、7位、8位、7位、7位と、2003年まで上位10位に入りました。

 この文字は常用漢字にはなく、1981年から人名漢字に追加された漢字なので、何故、突然のように浮上してきたかについては諸説ありますが、一時は、NHKが1993年4月から翌年の1月まで放送した「天才テレビくん」というバラエティ番組の一部であった「恐竜伝説」の主人公「鷺沢萌」の影響であり、時期的にもピッタリだという説が有力でした。
 ところが、そもそも主人公の名前は「山口美沙」で、番組の中のハンドルネームが「萌」だから、この説は誤りであるし、「恐竜伝説」はそれほど話題になった番組ではないので、名前に突然使われるほど影響力はないという異論もあり、確定した根拠はありませんが、いずれにしろ2003年頃から女児の名前に使われる頻度は少なくなりました。

 ところが最近、別の形で「萌」が注目されるようになりました。3月21日号の「ニューズウィーク日本版」が表紙に「萌える世界」という題名を使い、カバーストーリーにしたことが代表していますが、日本の新しい文化を象徴する言葉として「萌」が使われるようになったのです。
 それに呼応するように「萌え萌えジャパン:2兆円市場の萌える構造」(堀田純司/講談社)や「萌えるアメリカ」(堀淵清治/日経BP社)などの本も出版されています。

 そこで今日は、これらの本を参考にしながら、「萌」を理解するキーワードをいくつかご紹介したいと思います。
 「萌」は最近ではローマ字で「moe」と書いても通用するほどになってきましたが、これは本来の草木の芽が吹くという意味ではなく、三省堂の「デイリー新語辞典」には「ある人物やものに対して深い思い込みを抱く様子」と説明されています。
 さらに「キャラクターなど実在しないものの足らざる部分を想像力によって補完する行為」という解説もあります。
 具体的にどのような行為かということを示す代表例が「抱き枕」です。抱き枕は中国や韓国には古くからあるし、安眠用の道具としても以前から販売されているのですが、萌えの世界では、キャラクターを等身大にプリントした細長い枕のことで、この世界ではローマ字で「dakimakura」と書いても通用するほどです。
 使用方法は眠るときに抱きかかえるのですが、通人の間では「奥様」と呼ばれ、それを大切にする人は「愛妻家」で、次々と抱き枕を変える人は好ましくないとされています。完全に擬人化されているのです。

 抱き枕を、もう少しキャラクターの形に近付けたのが「フィギュア」です。2次元のマンガやアニメーションのキャラクターを3次元の人形にしたものですが、これを流行商品にしたのは1964年に大阪に設立されたプラモデルのメーカー海洋堂です。
 お菓子のおまけにした精巧な動物の模型で有名になりましたが、1980年代からキャラクターの人形を作り、この分野の草分けとなりました。
 最初は小型の人形だったのですが、「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する綾波レイの等身大のフィギュアがペーパームーンという会社から1996年に売り出されました。最高の製品では一体53万円もしたのですが、予約だけで30体が完売という異常な人気になりました。
 しかし、これをさらに現代芸術にしたのが、東京芸術大学美術学部日本画科の博士課程を終了し、日本画科で日本最初に博士号を取得した村上隆さんです。
 彼が制作した美少女の等身大フィギュア「HIROPON」はニューヨークのオークションで4890万円、「Miss Ko2」は6800万円で落札されていますから、最早、マニアックなオタクの趣味の域を超えた芸術作品です。

 これをさらに実物に近付けたのが、秋葉原に集まるオタクを対象に2001年から登場した「メイドカフェ」です。
 ここではキャラクターの髪型や服装をした若い女性がウェイトレスとしてサービスしてくれる喫茶店ですが、現在では台湾やシンガポールにも波及しています。

 このような例を挙げると、オタクといわれる世間からはずれた若者の変わった趣味と片付ける方も居られるかもしれませんが、以前ご紹介した浮世絵のことを想い出していただくと良いと思います。
 江戸時代の浮世絵は現在のカレンダーやポスターのような扱いのものが多く、大半は使い捨てで、江戸末期から明治にかけて瀬戸物を輸出するときのクッション材として使われたほどでしたが、ゴッホやロートレックが高く評価して、逆に日本でも芸術と認められるようになった経緯があります。
 最近では、外国のオタクにとって、秋葉原へ行くことはメッカへ巡礼に行くようだという人も少なくないのです。ぜひ早目に日本人が価値を認めるといいと思います。





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