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論文

 9月中頃にキューバの首都ハバナで第14回非同盟諸国首脳会議が開催され、注目されていたキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長は病気療養のため欠席で、俄然注目を浴びたのがベネズエラのウーゴ・チャベス大統領でした。
 チャベス大統領はカストロ議長を見舞って2時間も会談し、会議でも「カストロ議長はアメリカの帝国主義に抵抗する模範である」と礼賛し、親密であることをアピールしました。
 現在、このチャベス大統領が世界から関心をもたれていますが、今日はこのチャベス大統領とベネズエラを紹介したいと思います。
 日本人がベネズエラと聞いて想い出すのは、最近では亀田興毅選手の疑惑の判定で有名になったボクシングのファン・ホセ・ランダエタ選手だと思います。
 ボクシングは野球と並んでベネズエラの国技で、これまでもクリサント・エスパーニャ、レオ・ガメス、ペツリオ・ゴンザレスなど延べ35名の世界チャンピオンを輩出しています。
 そしてボクシング世界では最初の国際機構である1921年に創設されたWBA(世界ボクシング協会)はベネズエラのマラカイという都市にあるほどです。

 もう一つの国技である野球も日本では有名で、ヤクルト・スワローズのアレックス・ラミレス、西武ライオンズのアレックス・カブレラが日本でも活躍していますし、アメリカのメジャーリーグには、ボブ・アブレウ、フレディ・ガルシア、ロベルト・ペタジーニなどを筆頭に170名以上の選手が居ます。
 そして昨年、ワールドシリーズで優勝したシカゴ・ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督もベネズエラ出身です。
 もう一つベネズエラ人が世界で活躍している分野があります。美人です。これまでミスワールドが5人、ミスユニバースが4人、ミスインターナショナルが3人、ベネズエラから出ています。

 このベネズエラは面積が日本の2・4倍、人口は5分の1の2610万人、言葉はスペイン語という国ですが、強みは世界で6番目の原油確認埋蔵量のある国だということです。
 このような国に1999年2月に登場したのが先住民族としては初めてのチャベス大統領です。彼は陸軍の落下傘部隊の軍人で、初期には国内の左翼ゲリラと戦っていましたが、あるとき、本当の敵は共産主義ではなく、石油資源などを牛耳っている帝国主義にあると目覚め、1992年にクーデターを決行しますが失敗します。
 そのときに、チャベスは国民に向けて演説をする機会を与えられることを条件に投降します。
 そしてテレビジョンで90秒間、国民に向けて「私は国家と皆さんの前で、今回のボリバル軍事行動の責任を取る」という演説をします。
 これがチャベスの運命を変え「政治家が責任を取らないのが当たり前だった国で、若い彼の言葉は衝撃的だった」という評価になり、この無名の男が国民の人気を得ることになりました。
 そして1998年の大統領選挙に出馬して当選します。

 彼が大統領として最初にしたことは国名を「ベネズエラ・ボリバル共和国」に変えたことです。
 ボリバルというのは19世紀にベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビアなどの独立を指揮し、南米独立の父といわれるシモン・ボリバルという貴族のことですが、その人を尊敬して国名を変えました。
 さらに憲法を改正して、石油公社の民営化の禁止、社会保障制度の民営化の禁止、大土地所有制度の廃止を決め、国家の財政基盤を確立しました。
 また、ボリバル計画を実施し、医療と教育を無料にし、メルカルという名前で一般の商店より2割から5割も安い値段で食糧や日用品を供給しています。
 その原資となっているのが豊富な石油で、多国籍企業がベネズエラの石油を管理していた時代には、ベネズエラはOPECの協定破りの常習犯で、石油を増産して米国に安価な石油を供給してきました。
 しかし、チャベス政権になってOPECの協定を遵守して石油を減産して価格を上げ、多額の利益を得るようになり、その資金を利用して国内の政策を実行するとともに、キューバなど友好国を支援しています。

 その影響で南米諸国が急速に左派政権になり、南米11カ国中、左派政権は7カ国になり、その反米政策を掲げている国々の中心がチャベス大統領という状況です。
 彼はこの7月から8月にかけてベラルーシ、ロシア、カタール、イラン、ベトナムなどを外遊し、各国で大歓迎を受けています。
 このような動向を見ると、アメリカはもちろんですが、多くの国が注目している理由が分かると思います。





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