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論文

 これまで地中海一の繁栄していた国家ベネチアが消滅し、世界で2番目に豊かであったナウルが財政破綻した事例をご紹介してきましたが、この他人の振り見てわが振り直せシリーズの本命カルタゴをご紹介したいと思います。
 なぜ本命かというと、1980年代から90年代にかけて日本がバブル経済で浮かれているときに、森本哲郎さんの「ある通商国家の興亡:カルタゴの遺書」(1989)とか、松谷健一さんの「カルタゴ興亡史」(1991)とか、アズディンヌ・ベシャウシュの「甦る地中海国家:カルタゴの興亡」(1994)など、バブル経済をいましめる本が次々に話題にされたことがあるからです。
 しかし実際は、そのような警告があったにもかかわらず、現在の日本はカルタゴに似ている状況が見受けられるので、もう一度、振り返ってみたいということです。

 最初に、カルタゴという国家の歴史を振り返ってみたいと思いますが、伝説では紀元前814年の建国ということになっています。
 フェニキアにあったテュロスという国から亡命した王女エリッサが現在のチュニジアになる北アフリカの海岸に新しい都市を建設した年です。
 このエリッサは現地語でディドと呼ばれていましたが、滅ぼされたトロヤから流れ着いたトロヤの王子アエネイアスに一目惚れします。しかし、アエネイアスは自分の国を再興するため、エリッサの誘惑を振り切って帰国してしまいます。
 失恋したディドは自殺するのですが、この悲恋物語がウェルギリウスの「アエネイアス」という演劇や、ヘンリー・パーセルの歌劇「ディドとアエネイアス」として紹介され有名です。

 しかし、カルタゴが歴史に名前を残しているのは、何と言ってもローマ共和国と三度にわたって戦ったポエニ戦争です。
 カルタゴとローマは地中海を挟んで向かい合っていましたが、間にあるシシリー島にカルタゴが植民地を次々に作るようになって、ローマが脅威を感じ、まず紀元前270年に戦争をしかけます。これが第一次ポエニ戦争です。
 次が218年から202年までの第二次ポエニ戦争ですが、これはカルタゴの将軍ハンニバルのアルプス越えで有名です。アフリカからアフリカ象を連れてイベリア半島に渡り、アルプスを超えてイタリアに攻め入り、トラシメヌス湖畔の戦いやカンネーの戦いでローマに大勝しますが、カルタゴから海を渡った遠隔地の戦いで補給が十分に出来ず、やがて北アフリカまで後退し、最後はカルタゴ郊外のザマの戦いで負け、ハンニバルは自殺して幕となります。

 この敗戦でカルタゴはローマから50年分割払いの賠償を科せられますが、経済能力抜群で、わずか10年で賠償金全額を支払うことができるまで発展し、前払いの交渉をするまでになります。
 その発展が裏目にでて、このような国家を存続させておくと、再び、ローマの脅威になるということで、ローマは紀元前149年に第3次ポエ二戦争を仕掛け、4年後の146年に跡形もなくなるほどカルタゴを殲滅してしまうことになります。

 なぜ、このような勤勉な国家が消滅してしまったかということについて、大きく2つの原因が挙げられています。
 第一の原因は、あるフランスの歴史家が書いているのですが、「ギリシャの人々にとってカルタゴは退屈な場所であった。この商人社会では芸術は無用のものとされ、当然、評価されようがなかった」ということです。
 すなわち、カルタゴの人々はお金を稼ぐことには熱心でしたが、それを文化や芸術に注ぐことには熱心でなかったということです。ローマに文書や建物を跡形もなくなるほど破壊されたことも原因ですが、確かに、ギリシャが後世に残した文学や哲学、ローマが残した彫刻や技術を、カルタゴは何も残していません。
 文化というものが存在しないと、国民が危急の際に一致団結する拠り所も無いし、他国が応援してくれることもないというわけです。

 もう一点は、マルクス・ポルキウス・カトーというローマの政治家がいましたが、この人は第二次ポエニ戦争でローマに負けて敗走した経験から、カルタゴに恨みがあったし、第三次ポエ二戦争の前にカルタゴへの視察団の団長をし、あまりにもカルタゴが繁栄していることに脅威を感じ、帰国してから議会で演説する度に「デレンダ・エステ・カルタゴ(カルタゴを殲滅すべし)」と締めくくったそうです。
 それが次第にローマ人を洗脳し、戦争を決意させることになったのです。

 これを2150年前の歴史と考えるか、現代への警鐘と考えるかは別として、日本の現状に酷使していると思います。
 まず最近の経済事件に象徴されるような日本人の金儲けへの異常な執着と、それを賞賛するようなマスメディアの論調を見、その一方でゴールデンタイムに放送されているテレビ番組の内容を見ると、日本も金儲け優先で文化を創ることに意欲が無くなっているのではないかと心配になります。
 そして、中国や韓国などから靖国神社問題や領土問題について、執拗に内政干渉される現状を見ると、カトーの「デレンダ・エスト・カルタゴ」を連想させます。
 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、歴史を単なる 過去の史実としてではなく、現在を見直す手段とする姿勢も必要だと思います。





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