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論文

 和歌山県を代表する観光地というと、昨年7月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」という名前で世界遺産に指定された熊野古道というのが普通の答えですが、外国からの観光客には那智勝浦漁港も人気があるそうです。
 熊野古道のような山道はどこの国にも近い光景がないわけではないのですが、那智勝浦漁港は生鮮マグロの水揚げでは日本一で、そのセリの風景や、出刃包丁一本で巨大なマグロを捌く光景は日本ならではであり感動するということです。
 東京に来た外国人の買物と言えば秋葉原電気街で最新のAV機器やデジタルカメラを買うというのがお決まりのコースだったのですが、最近では御殿場にあるプレミアムアウトレットでブランド商品を買うというのも外国人観光客に人気があるそうです。
 そういう意味で改めて歴史を振り返ってみると、日本には外国人の視点で発見された素晴らしい文化が随分あるということに気付きます。

 有名な例としては「浮世絵」があります。浮世絵は現在でこそ日本を代表する芸術作品ですが、江戸末期から明治初期には陶器を輸出するときに丸めて緩衝材として使われていました。
 その荷物が到着したヨーロッパで、広げてみると素晴らしい絵だということで、ゴッホやロートレックが感動し、ゴッホは広重の「名所江戸百景」の「亀戸梅屋舗」や「大はしあたけの夕立」を油絵で模写しているほどで、印象派に多大の影響を与えています。

 京都にある桂離宮も外国人に再発見されたものです。桂離宮は、現在では日本を代表する建築と庭園ですが、明治時代には建物に使われている銘木や金具には関心があったようですが、全体に興味を示す人はほとんど居なかったようです。むしろ日本人は日光東照宮の装飾を高く評価していました。
 ところが、1933年に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトが桂離宮を見学して、「涙はおのずから眼に溢れた」というほど感動して「日本美の再発見」や「日本文化私観」などの本で賞賛する一方、日光東照宮はキッチュであると断定したので、一気に評価は逆転して桂離宮が日本を代表する建物になってしまったという経緯があります。

 マンガやアニメーションも似たような状況です。宮崎駿監督のアニメーションは、ここ数年、次々と海外で受賞するので高い評価になっていますが、しばらく前までは、一部の人々に人気がある程度でした。
 「攻殻機動隊」の作者押井守さん、「AKIRA」の作者大友克洋さんも海外では評価が高かったのですが、日本ではまだまだでした。

 しかし、GNC(グロス・ナショナル・クール)という概念を提唱したアメリカのジャーナリストのダグラス・マグレイなどが高く評価し、最近では日本でも評価が上がってきています。
 このような例は他にもあります。軽井沢は日本を代表する別荘地ですが、あの場所を素晴らしいと評価したのは、日本に布教に来ていたイギリス人の宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーで1886年(明治19年)のことです。そして2年後の1888年に大塚山(ダイヅカヤマ)に別荘を建て、次第に友人の外国人も建てるようになり、日本有数の避暑地になりました。
 日本に避暑という習慣が無かったことと、1893年に碓氷峠に鉄道が開通するまでは不便な土地であったため、日本人には思いもつかない場所でした。

 上高地も有名な例なので多くの方がご存知だと思いますが、あの一帯を開発したのはイギリス人宣教師ウォルター・ウェストンです。
 ウェストンは1888年から1895年まで日本に滞在しましたが、槍ヶ岳や穂高岳を登山し、「日本アルプスの登山と探検」(1896)を発表し、それまでは山岳信仰の修行でしか山登りをしなかった日本人に余暇として登山をするという行動を紹介しました。
 これも有名ですが群馬県の草津温泉を開拓したのは26年間、東京大学で医学を教えたドイツ人の医師ベルツです。草津温泉は日本武尊(ヤマトタケル)が東征のときに発見したとか、行基が開設したとかといわれるほど歴史のある温泉ですが、ベルツが医学的研究をして国際的に有名になったという経緯があります。

 日本は国際観光を推進するということで「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を展開し、現在600万人程度の外国人来訪者を2010年までに1000万人にしようという目標を掲げていますが、そのためには外国から来訪する人の視点で観光資源を発掘することが重要だと思います。まさに経済と同様にサプライサイドからデマンドサイドへの移行が重要だということです。





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