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論文

 丁度150年前の明日11月11日は江戸に巨大な地震が発生した日です。たまたま150年前ということでもあるのですが、現在の社会の教訓になることもあるので、この巨大な地震に関係する話しをさせていただきたいと思います。

 安政2(1855)年11月11日、旧暦では10月2日の夜四つ時ですから夜中の10時頃、マグニチュード6・9、江戸での震度は推定6、震源地は八丈島付近という直下型地震が発生しました。「安政の大地震」といわれるものです。
 被害は倒壊や焼失した家屋が1万5000軒、崩れた土蔵が1400倉にもなりました。その直後から発生した火災の被害もあり、死者は7000人にもなったと推定されています。
 ちなみに、1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」は淡路島北部を震源とする直下型地震で、マグニチュード7・3、震度は神戸市の中心部などでは7、全壊家屋10万棟以上、半壊家屋14万棟以上、亡くなられた方は6400名余ですから、これに匹敵する被害でした。
 この安政の大地震のときの有名な話は、水戸藩の徳川斉昭の側用人であった藤田東湖が小石川の水戸藩邸で母親を救おうとして鴨居に打たれて亡くなったことで、その記念碑が小石川後楽園に建てられています。
 しかし、同様な悲惨な話は無数にあり、それら様子は『安政見聞録』『安政見聞誌』『安政風聞集』などに記録されています。

 しかし、1年前の安政元年には全国各地で巨大地震が頻発していました。特に旧暦の11月4日には東海大地震、5日には南海大地震といずれもマグニチュード8・4という巨大な地震が発生し、前者では死者1000人、後者では死者3000人という被害になっています。さらに1日置いて7日には豊予海峡大地震と、4日間のうちに3回の巨大な地震が発生して大騒ぎとなっています。

 この時期は、1853年にアメリカの東インド艦隊司令長官・海軍大将マシュウ・カールブレイス・ペリーの率いる4隻の黒船が浦賀に来航し、さらに翌年には7隻の黒船で品川沖まで来航して、ついに日米和親条約を締結せざるをえなくなり、国内は大騒動でした。
 また、3月には板橋、牛込矢来下、淀橋で相次いで火薬の爆発事故があり、そして11月の初旬に巨大地震が頻発したという不運な時期でした。

 そこで国内が安らかになるようにという気持を込めて、11月27日に「安政」と改元されたのですが、その効果はなく、安政2年3月6日には江戸城本丸から4000両という大金が盗まれるという事件が発生し、また伊勢神宮へ大衆が殺到するお陰参りが流行し、そして10月には安政大地震が発生するという、騒然とした社会になっていました。

 突然ですが、現代に飛んでみると、どこか似たところがあるのです。昨年10月23日の中越地震に続いて、今年は3月20日に地震はないといわれていた福岡でマグニチュード7・0の「福岡沖地震」、7月23日にはマグニチュード6・0で東京でも震度5を記録した「千葉県北西部地震」、そして8月16日にはマグニチュード7・2の「宮城県沖地震」が発生しています。どことなく1854年に近い状態です。
 そして安易には言えませんが、安政の大地震に匹敵するような東海沖地震も発生も近いと盛んに言われています。

 もうひとつ、安政で有名な事件は「安政の大獄」です。安政5(1858)年4月に井伊直弼が大老になり、孝明天皇の勅許を得ないままに日米修好通商条約という不平等条約を締結します。これはアメリカ総領事のタウンゼント・ハリスの影響力があったとされていますが、この条約締結を契機にして国内に尊王攘夷の機運が強まり、そこで井伊大老がそれらの尊王攘夷派を切腹1名、死罪6名、獄門1名、遠島9名など、79名を処分したのが「安政の大獄」といわれる事件です。吉田松陰もこのときに死罪になっています。
 これはこのままでは収まらず、安政7(1860)年の井伊大老を暗殺する「桜田門外の変」、文久2(1862)年の寺田屋事件などへ発展して行きます。
 これは憲法違反かどうか明確ではないままに、アメリカからの強い要請で踏み切った一昨年の小泉首相によるイラク派兵を想い出させますし、今回の衆議院選挙の刺客騒動や郵政民営化法案に反対した国会議員の自由民主党の除名処分なども「平成の大獄」に近い状況です。
 そして安政5年7月から10月にかけてはコレラが大流行していますが、現代の鳥インフルエンザというところかも知れません。

 もちろん、天変地異と社会情勢は直接関係ないということかも知れませんが、時代が同じような情勢を繰り返すということは歴史の中に何度もありますから、安政の大地震の150年目をきっかけにして温故知新で現代を考えてみるのもいいのではないかと思います。





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