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論文

 南アフリカのダーバンで開かれている第29回世界遺産委員会で、今日の早朝に知床半島が世界自然遺産に登録されることが決定しました。それを見越して知床半島の事前調査に行ってきたというわけです。
 世界遺産には文化遺産と自然遺産、そして両方を兼ね備えた複合遺産がありますが、現在、世界中で文化遺産が614件、自然遺産が154件、複合遺産が23件登録されています。
 日本では法隆寺、姫路城、白川郷、厳島神社など文化遺産が10箇所、自然遺産は白神山地と屋久島の2個所がこれまで登録されており、知床半島は自然遺産の3番目になります。

 そこで知床半島を3日間かけてカヤックで周回し実地調査をして来ました。これで10回くらいになりますが、海面に直接落下しているカシュニの滝を真下から眺めたり、5湖の断崖といわれる高さ100数十メートルはある絶壁の真下をカヤックで通ったりすると、本当に世界遺産に相応しい自然だと実感しました。
 しかし、知床半島は現在まで順調に自然が維持されて来たわけではなく、地域の人々の努力によって守られてきています。
 知床半島の付け根にある岩尾別一帯は、大正3年(1914)から、国の開拓計画によって、福島県や宮城県の人々が入植して開拓を開始したのですが、厳しい気象条件と土地が農耕に適していなかったために失敗し、昭和41年(1966)には開拓者がすべて撤退してしまい、原生林を伐採した原野が数100ヘクタール残るという結果になりました。

 そこで昭和52年(1977)に、当時の斜里町の藤谷(フジヤ)町長が、イギリスのナショナル・トラスト運動を参考にして「しれとこ100平方メートル運動」を提案し、「しれとこで夢を買いませんか」という言葉で、その開拓された原野を100平方メートルあたり8000円の寄付をしてもらい、町有地にするという運動を開始されました。
 これには1997年までの20年間で49024人の方々から5億2000万円の寄付が集まり、民有地になっていた450ヘクタールを買い戻して町有地にすることに成功しました。
 現在では、藤谷町長の後を継いだ午来(ゴライ)町長が、1997年から「100平方メートル運動の森トラスト」を立ち上げて全国から寄付金を集め、町有地となった450ヘクタールともともとの町有地490ヘクタールに植林をする事業を推進し、これまで43万本の植林をしています。
 また1987年に知床半島の国有林を林野庁が伐採すると発表しました。これは地元の方々だけではなく、全国的な反対運動が発生し、樹齢200年以上のミズナラが500本ほど伐採されてしまいましたが、そこで中止になり、何とか持ちこたえました。

 話題のナショナル・トラストは歴史のある活動で、最初は1885年にイギリスで設立された組織です。
 イギリスでは産業革命の影響で、古い建物が次々と破壊されていったり、自然環境が都市や工場に急速に変わっていったのですが、それに不満であったロバート・ハンターという弁護士、オクタビア・ヒルという社会改良運動家、ハードウィック・ローンズリーという牧師の3人で「1人が1万ポンド寄付するよりは、1万人の人々が1ポンドの寄付を」という掛け声で国民から寄付を集め、歴史的建造物や自然の豊かな土地を保全するために買っていったのです。
 「しれとこ100平方メートル運動」は、この精神を受け継いだものです。現在では東京都の面積2187平方メートルよりも広い2480平方キロメートルの土地や165の歴史的建造物、909キロメートルの海岸線を保有する組織になっていますし、会員も270万人という巨大組織です。

 日本でも1968年に設立された日本ナショナル・トラストと、1982年に設立された日本ナショナル・トラスト協会が存在していますが、前者の会員数は3000人とか、後者の予算規模は3000万円程度と、いずれもイギリスの本家に比べるべくもありません。
 今回の世界遺産登録を契機に、日本でも政府ではなく、個人が国土を守るというナショナル・トラストの精神が活発になることが重要ですが、その一歩として知床半島のある羅臼町では観光客に1枚100円で有料のゴミ袋を販売して、観光客にも自然保護の意識を持ってもらう努力をしているし、斜里町では「100平方メートル運動の森トラスト」を継続していますので、応援していただければと思います。





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