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論文

 最近、ベーシックインカムという言葉が話題になることが多いので、それについて考えてみたいと思います。
 「基礎所得保障」とか「最低生活保障」と訳されますが、政府が国民に最低限の生活を送ることのできる金額の現金を定期的に支給し、それによって就職するための訓練や教育を受けることを期待する制度です。
 この歴史は意外に古く、16世紀末のイギリスで、国民から救貧税を徴収して貧しい人々に配分する制度が登場しています。
 それ以後、18世紀にはトマス・ペイン、19世紀になるとジョン・スチュアート・ミルやエドワード・ベラミー、20世紀にはクリフォード・ダグラスやミルトン・フリードマンなど著名な哲学者や経済学者が提案していますが、本格的に実施されることはありませんでした。

 ヨーロッパには社会保障が進んでいる国が多いのですが、制度が非常に複雑であるため、低収入の臨時の仕事をして収入を得ると、社会保障が受けられなくなる可能性があるため、仕事をしたがらないという問題が発生していました。
 またアメリカでは無料の食事を支給するフードスタンプ、医療を受けられない人々への医療補助など細分化した補助制度が用意されていますが、それよりは家を修繕する補助の方が必要だという要求には対応できないというミスマッチも問題になっていました。

 そこでベーシックインカムにすれば、仕事をしているかどうかに関係なく支給されるので、働くこともできるため、失業率も低下するし、与えられた金額から必要とする目的に自由に使用できるだろうというのが基本的考え方です。
 これまでカナダのオンタリオ州、アメリカのオークランド市、スコットランドのグラスゴー市など自治体単位では検討されていますし、国単位ではスイスが2016年に国民投票にまで持ち込みましたが、否決されてしまいました。
 ところが昨年(2017)1月1日からフィンランドが実験的ではありますが国家としてベーシックインカムを開始しました。
 これは2000人の失業者に毎月約7万4000円を支給するという制度を当面2年間の予定で始めました。
 しかし、この基礎的な収入を確保した国民が新しく就職するための努力をするような本来の目的に沿った行動をしないという理由で、今年末で打ち切り、制度を再考することになりました。
 それでも、EU(欧州連合)の欧州議会では加盟各国にベーシックインカムの導入を検討するようにという報告書が発表されていますし、日本でも検討すべきだという意見の学者が増えています。

 このように、最近になって先進諸国でベーシックインカムが議論されるようになった背景はいくつかあります。
 第一は世界規模の所得格差の拡大です。
 「オックスファム」というイギリスの財団が発表している数字によると、2016年には世界の金持ち上位62人の持っている富は世界のもっとも貧しい人から数えて36億人、すなわち世界の人口の半分の貧しい人々の富と同じでした。
 ところが翌年の2017年には世界の金持ち上位42人の富が貧しい37億人の富と同じになり、2018年には、わずか上位8人の金持ちの富が下位38億人と同じになったと発表しています。
 格差が急速に開いているのですが、この貧しい人々を助けるための手段としてベーシックインカムを導入せよということです。

 第二はITやAIの急速な台頭により、既存の職業が消滅し始めたことです。
 先週末に朝日新聞が大学生1343人へ「AI時代に消える職業」について行ったアンケート結果を発表していますが、金融機関、保険業界、証券会社、小売業界、印刷業界が上位に上がっています。
 2013年にオックスフォード大学が現存する702の職業について「コンピュータの浸透によって消滅する職業」の順番を発表していますが、ほぼ消滅する職業は「通信販売」「保険代理業」「税理士」「データ入力業」「窓口業務」などが挙がっています。
 日本について、この失業の人数を計算した三菱綜合研究所の結果がありますが、2030年までに、ITやAIによって新しく登場する職業は500万人分ある一方、消滅する職業は740万人分になり、差し引き240万人の失業者が発生する結果になっています。これは労働人口の4.4%に相当します。
 この問題を解決する手段の一つがベーシックインカムで、その収入で生活しながら新しい時代に適合する教育や訓練を受けることを期待するということです。

 第三の理由がなかなか興味あるものです。
 アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーが今年5月に出版した「おバカ仕事(ブルシット・ジョブズ)」が大変な話題になっています。
 このグレーバーは2011年に労働者がウォール街を占拠した時の合言葉「我々は99%だ(we are the 99%)」を考えた学者です。
 有名な経済学者のジョン・メイナード・ケインズが1930年に、先進国ではオートメーションの進化によって、2030年までに週15時間労働の社会が実現するという論文を発表しています。
 しかし、実際は現在のアメリカでは38時間、日本で33時間、フランスで29時間など、ケインズの予想は実現しそうにありません。
 グレーバーによれば、外れた理由は無意味な仕事が次々に作り出されているからだということです。彼は無意味な仕事を5分野に分類し、
  1)太鼓持ち的仕事:受付係、ドアマンなど相手を重要人間だと錯覚させる仕事
  2)用心棒:ロビイスト、顧問弁護士、広報担当など雇用者のために相手を攻撃する仕事
  3)落穂拾い:出来損ないのプログラムを修正するなど、ダメな作業の尻拭いをする仕事
  4)社内官僚:休暇のコーディネーター、社内広報係など内向きの仕事
  5)仕事製造人:中間管理職など無駄な仕事を生み出す仕事
などを挙げています。

 イギリスの調査では、自分の仕事が社会に有用とは思っていない労働者は全体の37%にもなるという結果さえあります。
 そこでグレーバーは、このような仕事をAIに任せて、仕事がなくなった人々にはベーシックインカムを提供して仕事から解放する方が社会は安定すると提言しているわけです。
 実際、受付係をロボットがしている銀行や役所もあり、出来の悪いソフトウェアを修正するAI、余暇の相談に乗るソフトウェアも開発されています。
 そうすればベーシックインカムによってAIで失業する職業に従事している人々も安心して生活でき、ケインズの予測も的中することになります。





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